「イエスはわたしたちがご自分と一つになるようにと望んでおられる」

 「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。」(ピリピ2:5)

 イエスは、ご自分に従う人々の思いから、地上のかたちを消し去り、そしてそこに天のかたちを印象づけようと望んでおられる。それは彼らがご自身と一つになり、ご自分の品性を反映し、そして自分たちを暗闇から驚くべきみ光に招き入れてくださったお方の誉れをあらわすためである。もしあなたが義の太陽のご臨在のうちに立つことを許されてきたならば、あなたがキリストの義の明るい光線を吸収し、隠すためではなく、他人への光となるためである。……キリストの義の尊い光を受けてきていながら、それに従って行動していない人々がいる。……彼らは率直な「主はこう言われる」ということよりも、敵の詭弁を選ぶのである。……
 わたしたちが今日培う品性、今日とる態度が、わたしたちの永遠の運命を決める。わたしたちはみな、光の都の中に祝福された者たちと共にいるか、あるいは都の外に悪人たちと共にいるかを選択しているのである。地上でわたしたちの行動を支配している原則は、天で知られている。そしてわたしたちの行いは、記録の書に忠実に留められている。そこではわたしたちの品性がキリストのお決めになったとおりかどうかが知られている。…… わたしたちは賢いおとめたちであろうか。……わたしたちが品性と態度によって、今日どちらを決定しているか、これが問題である。……
 キリストがお赦しになるように、赦されるということは、単に許されることではなく、わたしたちの思いの霊を新たにしていただくことを意味している。主は、「わたしは新しい心をあなたがたに与え」ると仰せになる。キリストのみかたちが、まさに思いと心と魂に押されなければならない。使徒は、「わたしたちはキリストの思いを持っている」と言っている。神の力を通してのみもたらされる変化の過程がなければ、罪に対する生来の性向は、力が余すことなくそのまま心の中に残され、新しい鎖をつくり出して、人間の力では決して破ることのできない奴隷の状態にしてしまうのである。……
 キリストが来られる時、天の測りは品性をはかり、純潔か、聖化されているか、聖なるものかどうかを決定する。……
 幸福は、聖潔、すなわち神の御旨への調和の結果である。天で聖徒となりたい者は、まずこの地上で聖徒でなければならない。なぜなら、この地上を去るときには、わたしたちは自分の品性を携えていくのであり、これは単に、キリストの義を通してわたしたちに与えられてきた天の要素のいくつかを一緒に持っていくことだからである。……
 神への完全な屈服の後に続く経験は、聖霊にある義、平安、そして喜びである。(レビュー・アンド・へラルド1890年8月19日)

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