ダニエル書講解14 「新バビロニア帝国の建設とその終焉」

 

 バビロンの最も古い王の一人はアッカドサルゴンであったが、彼はその国境を地中海まで広げて一大帝国を建設した。特に聖書研究者たちに興味を与えるのはハンムラビである。彼はアブラハムによって征服されたシナルの王アムラペル(創世記14章)であると信じられている。彼は大遠征家であったばかりでなく、大立法者の一人として歴史に知られているが、ハンムラビ法典は今でもパリの博物館に陳列されているのである。
 紀元前1270年頃アッシリアの王はバビロンを首府とするカルデヤすなわちバビロニヤの君主となった。この国はその後バビロン市にあって統治したアッシリヤ王朝に支配されたが、時にはアッシリヤ本国の君主に挑戦したこともあった。またある時にはバビロンはアッシリヤの属国になっていたこともある。そして数世紀が流れるように過ぎ去ったが、その間のバビロンの歴史で記録に残っているものは極めて少ない。紀元前747年、アッシリヤのチグラテ・ピレーゼルの世に、ナボナッサルがバビロンの王位についた。かの有名なナボナッサル紀元は彼の即位した年をもって第一年としているがそれは紀元前747年に始まっている。同じく721年メロダク・バラダンはバビロンの王となりユダ王ヒゼキヤに大使を遣わした(列王記下20章、イザヤ39章参照)。そして数年後アッシリヤ王サルゴンはメロダク・バラダンを敗し、彼を退位させた。セネケリブはバビロン征服を完成し、紀元前689年バビロンをアッシリヤ帝国に併合した。メデヤ人サイアクサリス(キュアクサレス)は彼の盟主にしてアッシリヤに反逆したバビロンの王ナボポラッサルとニネベを陥れてアッシリヤ帝国を征服した。(紀元前625年アッシリアから独立、紀元前612年ニネベ陥落)このようにしてナボポラッサルは、新バビロニヤ帝国を建設したが、それはユウラテ及びチグリス両岸の流域、スシアナ、エラム、シリヤおよびパレスチナを領していた。彼の治世は約21年間継続した。そして紀元前605年に彼の軍隊はシリヤに侵入したエジプト王ネコを敗った。石に彫られた彼の碑文には、彼が大寺院を建築した事および運河を設けて灌漑の便を計り、また城壁を建造した事等が記されている。
 やがて彼の後継者となった王はバビロンの諸王中最も名声高い彼の子ネブカデネザル(紀元前604年)であった。エルサレムは紀元前606年ネブカデネザルの治世第1年、すなわちユダの王エホヤキムの第3年にネブカデネザルによって占領された(ダニエル1:1)。ネブカデネザルはその父ナボポラッサルと共に2年間共同統治したが、ユダヤ人はこの時から彼の治世を計算して、カルデヤ人は前述のごとく彼が単独で統治し始めた時、すなわち紀元前604年から起算したのである。
 彼は紀元前561年に亡くなり、次に即位したのはその子メビル・メロダクで、その治世はわずか2年間であった。紀元前555年に即位したナボナディウスはクレサスと同盟を締結してクロス大帝に対抗した。彼はその子ベルシャザルと王権を分担したように思われる。ちなみにベルシャザルの母はネブカデネザルの娘であった。このようにしてバビロン帝国は紀元前538年にクロスの攻撃にあい、その戦略によって陥落し、ベルシャザルがペルシャ人に殺害されると共に終焉を告げた。

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