ダニエル書講解15 「世界統一という言葉の意義について」


 ダニエル書第2章の像は預言であり世界の四大帝国を象徴し、バビロンはその第一の帝国であると我々が言うとき、ある人々はそれらの中で一つとして全世界を統一した国がないのにそれがどうして真理であるかという。つまりバビロンはギリシャおよびローマを征服したことはない。のみならずローマはバビロンがその全盛を極める以前すでに建国されていたが、ローマの地位と勢力とは当時全く未来のものであった。神がその預言を成就する為、おもだった役目を勤めるそれらの国々をずっと以前から準備されていたのである。であるからこれらのことは決して預言に反するものではない。我々は自らを預言者の立場におき、そこからこれらの国々を観察しなければならない。そうする時にわれわれは彼のいた場所、彼の書いた時期および彼の周囲の事情を詳しく知って、彼の陳述を正当に考察することができるのである。その国が神の民と密接な関係を持つようになり、聖書歴史の記録を完成するために必要となる時に、初めてその国が預言に現れるものと期待する事は預言解釈上明白な法則である。そしてバビロンがこのような状態になった時、預言者の目にはそれが国際間における大立役者と見えたのである。そしてすべて他のものは彼の目から遮られたのであるから、当然彼は全世界を支配する国としてバビロンを紹介したのである。我々の知る範囲内において、バビロンはその全盛時代に己に敵対した全ての国を降服した。この意味においてすべての国は彼の勢力範囲内にあったのであるから、この事実は38節の一見誇張とも思える語句も解明するであろう。もちろんその当時の文明圏外にあり、また歴史にも知られていない領土や多数の種族が存在していて、しかも彼らは発見されず、征服もされなかったとう事実は、この預言者の表示を責め、あるいはこの預言者を否認する理由とはならないのである。
 バビロンは紀元前606年にネブカデネザルがエルサレムを征服して、ユダヤ人を捕虜として連れ帰った時、初めて神の民と接触することとなった。ゆえにバビロンはこの時からすなわちユダヤ神政政治が終わった時から、預言の舞台に登ったのである。この帝国の性質は、それが象徴された像―金の頭―を組成している材料の性質によって表示されているように、それは黄金時代における黄金帝国であって、その首府バビロンは、後世の何人によっても及ばない美の頂点に達していたのである。


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