ダニエル書講解16 「壮大無比なバビロンの都城」


 バビロンは東方の園と称される美しい場所に位置し、約200平方マイルの面積を持ち、その周囲および縦横に大城壁をめぐらし、そのある物は厚さ24mで、四頭立ての馬車が自由に回転する事ができた。また外壁には数百の防御用の高い塔があり、また数百の門には大きな銅の扉があった。ユフラテ川は市を貫流し、その両岸は交通頻繁な渡船の岸壁をなしていた。また大きな橋が両岸の連絡を保ち、市街はパリの広小路のように正方形に区割りされ、贅を極めた遊園地と庭園が広壮な邸宅の間に散在し、また純金の像と香壇や贖罪所を有する大寺院ベルマーダクあり、半円柱に支えられた庭園は空中に宏大な方形をなし、水力ポンプでユウラテ川の水を引き上げ、各国より集められた珍しい樹木や美麗な花々に給水した。その他天文台や図書館には、天文学、占星学および宗教上の参考図書が充満していた。宮殿は二つあり、その一つは周囲が3マイル半、他の一つは周囲が8マイルもあった。(1マイル=1609.344m)これらの二宮殿を連絡するユフラテ川の海底を貫くトンネルがあり、便利、装飾および防御上より見て最も完全に配置されていた。その無尽蔵の富、宗教と流行の大都市に年々人々が集まり、外国商人と旅客とは実に多数であった。その以前にもバビロンのような都市はなかったが、その後もこれに匹敵する都市はない。そこには全地を足下に蹂躙し、聖書記者が「国々の誉であり、カルデヤびとの誇である麗しいバビロンは・・・」(イザヤ13:19)とのほまれを与えたほど、類のない壮麗を装った女王がこの都に座していたことは、歴史的巨像の金の頭を象徴した大帝国の首府として実に相応しかった。
 これがネブカデネザルの元気溌剌としていた壮年時代に大業を完成して王位についた時代のバビロンの状態であった。そしてダニエルはちょうどその当時荘厳をきわめた宮中において、七十年の間捕囚として仕える為に、難攻不落の城中に入ったのである。ユダヤ人の捕虜はバビロンの壮麗と繁栄を見て、喜ぶよりもむしろ鬱々として楽しまず、彼らはシオンを回想する毎にさらさらと流れるユフラテ川の柳の木に彼らのたて琴を置いて、泣いて祖国を偲んだのであった。(詩篇137:1,2)
 広い意味においてこの時から教会の捕囚の状態が開始したのである。なぜなら、その時以来神の民は地上の権力に服従し、また多少の圧迫を受けているからである。そして神の民は地上の全ての権力がついに神の統治に移されるまではそうであろう。しかしその救いの日は近づきつつある。その時はダニエルだけでなく、すべての神の民が最も小さい者より最も大いなる者に至るまで、最も卑しい者より最も高い者に至るまで、先の者より後の者に至るまで、僅か周囲が60マイル位ではなく、1500マイルもある都に間もなく入ることが出来るのである。その都の石垣は煉瓦などではなく宝石や碧玉である。街はバビロンのごとく敷石ではなく透き通る純金である。その川はユウラテの濁流ではなく生命の川の清流である。その音楽は落胆した捕囚の嘆息や哀哭ではなく、贖われた者の大群があげられた死と墓とに対する勝利の凱旋である。その光は消える光ではなく、不断にして言語に絶する神の小羊の栄光である。神の民はこの都に入るのである。それは異邦へ囚われる捕虜のようでなく、追放された者が再びその父の家に帰る様に、またそこは「奴隷、服役、圧迫」などの冷たい言葉をによって心を痛めるところではなく、そこは「家庭、自由、平和、純潔、言語に絶する至福、」また「終わりのない生命」のような心地よい言葉が我々の心を永遠の喜びをもって満たす所である。そして主が再びシオンの捕虜を帰還させる時に、私たちの口は歓呼の声を放ち、われわれの舌は歌をもって満たされるであろう。(詩篇126:1、2;黙示録21:1〜27参照)

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