ダニエル書講解17 「バビロンとペルシャの交戦」

 

 「あなたの後にあなたに劣る一つの国が起ります。また第三に青銅の国が起って、全世界を治めるようになります。」ダニエル2:39

 ネブカデネザルの在位は43年間であり、彼の後に即位した君主は次のとおりである。彼の子供のエビル・メロダク(エヴィル・メロダク)在位2年、その養子ネリグリザル(ネルガル・シャレゼル)在位4年、ネグリザルの子ラボロソアルコット(ラバシ・マルドゥク)の在位はわずか9カ月に過ぎなかった。それゆえに彼はトレミー年代記中には記されていない。しかし最後にナボナデウス(ナボニドゥス)とその子すなわちネブカデネザルの孫ベルシャザルが共同して王位を継いだが、この王の時にバビロン帝国は終焉を告げた。
 ネリグリザルの元年、すなわちネブカデネザルの死後わずか2年、バビロンとメデアとの間に勃発した戦いに端を発し、後年ついにバビロンは全滅するに至った。メデア王サイアクサリスはダニエル書5章に31節にダリヨスと称されているが、彼はその甥にあたるペルシャ系のクロスと共にバビロニアを攻撃した。その戦争はメデアとペルシャ軍の連戦連勝となり、ついにナボネデウスの18年(その子ベルシャザルの3年)に、クロスは当時東方において彼に敵対する唯一の都城バビロンを包囲した。古代の歴史家は、バビロン人がその難攻不落の城内に立てこもり、20年間の食糧を手もとに集め、その広大な都市の中にはいつまでも住民および守備兵に食物を供給するに足る土地を持っていたことを頼みとして、その高い城壁の上よりクロスを嘲り、バビロン人を降服しようとするのは一見、徒労にしか思えない努力を笑ったと記している。実際それは人間的見地からすればバビロン人がこのように楽観的であったのはむしろ当然のことであった。どう考えてみても、普通の戦術によってでは、この都城が敵の手に陥るようには思われなかったのである。であるから彼らは敵軍の厳重な包囲攻撃を受けているにもかかわらず、意に介せず、枕を高くして眠っていた。しかし神はこのおごりたかぶった罪多き都城がついに栄光を失墜すべきであることを宣言された。神が語られたのであるから、だれがその御言の実現を阻止することができるであろうか。

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