「天の事柄を熟考」

  「神は……キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。」(エペソ2:4~6)

 もしもまもなくおこる重大な出来事を心にとめていたいのであれば、わたしたちは品性が弱くてはいけない。わたしたちは神のみ前に生きていることを感じて、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」との命令に、畏れかしこんで聞き従うべきである。ああ、わたしたちはいったいいつ救い主の働きと仲保のあふれるほどの価値に気づくのだろうか。いつこのお方に完全に信頼して頼り、気高く純潔で献身的な人生を送るのであろうか。キリストの徳によって清められ、霊感を受ける時、想像力はどれほどの高さにまで到達できることであろうか!わたしたちは将来の永遠の世界の栄光の中に入ることができる。わたしたちは見えないお方を見ているように生きることができる。見るものによらないで信仰によって歩きなさい。……
 聖書を探ることによって、自分がキリストにとってどういう者であるか、キリストが自分にとってどのような方であるかを、わたしたちは理解できるようになる。このお方を見つめることにより、わたしたちはこのお方のかたちに変えられ、このお方の同労者となり、生活と品性でこのお方の代表者とならねばならない。わたしたちは神の息子、娘として生き、神を最高に愛して隣人を自分自身のように愛さなければならないことに気づくために、学ばなければならない。わたしたちはキリストのために純潔で完全な生涯を送らなければならない。イエスが完全そのもの、魅力、引きつけるものの大いなる、中心であられるので、わたしたちは完全を愛すべきである。わたしたちが今生きている人生を、神の御子を信じる信仰によって生きなければならない。
キリストに従うなら、わたしたちはむらのある経験をすることなく、状況によって動かされたり、環境によって影響を受けることはない。感情がわたしたちを支配したり、いらだちやねたみ、あら探し、嫉妬、虚栄にふけることはない。
 わたしたちをキリストの調和のとれたご生涯と調和させなくし、勝利者になるのを妨げるものはこれらのことにおける放縦である。わたしたちは日毎に勝利を得るという気高い目的によって駆り立てられ、油断しないことと、心からの祈りによって、自己を完全に抑制することに到達しなければならない。小さな試みがきて、魂を切り裂き傷つける言葉が口から出る時、自分自身に語りかけて、「わたしは神の子、イエスと共なる相続者、天との共労者であるから、自分のことを常に考えて、たやすく気分を害するわけにはゆかない。わたしたちの天父は、わたしになすべき働きを与え、御名のためにそれを立派にさせてくださるのであるから」と言いなさい。
 わたしたちはイエス・キリストのご品性の素晴らしさを熱心にまた絶えず熟考しなければならないが、それはわたしたちが、このお方の祝福を分け与え、人々をこのお方のみ足の跡に従うようにと導くことができるためである。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1893年7月10日)


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