33「奇跡的救護」

 「そこでネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴにむかって、顔色を変え、炉を平常よりも七倍熱くせよと命じた。またその軍勢の中の力の強い人々を呼んで、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを縛って、彼らを火の燃える炉の中に投げ込めと命じた。そこでこの人々は、外套、下着、帽子、その他の衣服のまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。王の命令はきびしく、かつ炉は、はなはだしく熱していたので、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを引きつれていった人々は、その火炎に焼き殺された。シャデラク、メシャク、アベデネゴの三人は縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ。その時、ネブカデネザル王は驚いて急ぎ立ちあがり、大臣たちに言った、『われわれはあの三人を縛って、火の中に投げ入れたではないか』。彼らは王に答えて言った、『王よ、そのとおりです』。王は答えて言った、『しかし、わたしの見るのに四人の者がなわめなしに、火の中を歩いているが、なんの害をも受けていない。その第四の者の様子は神の子のようだ。』」ダニエル書3:19

 ネブカデネザル王は専制君主として陥りやすい欠点、あるいは過誤が一つもなかったわけではない。彼は絶大な権力に陶酔して、王命に違反する者を許すことが出来なかったのである。いかなる理由であれ、彼の命令に背く者があった場合には、彼は堕落した我々人間が同じような場合に陥りがちな弱点を暴露して非常に立腹した。彼は世界の支配者であったけれども、その心を治めることは困難であったと見え、顔色を変えて怒った。すなわち彼は泰然として威厳を備えた君主でなければならなかったにもかかわらず、怒気を制し奴隷のように行動した。
 そして間もなく炉は通常よりも7倍熱くされた。言い換えるのなら熱くできるだけ熱くしたのであった。しかし王のこの行為はあまりにも余計な心配であった。なぜならば、炉の中に投げ入れられた者は普通の火でも死ぬので、ただ熱ければ熱いだけそれだけ早く死ぬだけで、王にとっては何の利益にもならなかったのである。しかしヘブルの三青年がそれから救われたことは、神とその真理にとっては非常な大勝利であった。なぜならば、熱が熱ければ熱いだけ、それだけその中から救われた事は大いなる奇跡であるからである。すべての出来事は直接神の能力を示すためであったように思われる。彼らは衣服を着たまま縛られて火の燃える炉の真ん中に投げ入れられたが、何の危害もこうむらず、火の臭気すら付かないで出て来たのである。しかし一方、彼らを炉に投げ入れる為に軍勢の中の力強い人々が選ばれたが、その人たちは火に近づくや否や焼き殺された。それゆえに火が超自然の力によって支配されていたことは、彼らの縛られた綱は焼け落ちても彼らは自由に火の中を歩み、その衣服は少しも焦げなかったというのを見ても明白である。彼らは自由になると同時に火の中から出て来ないでその中に留まっている事が当然であると考えたのである。第二に「第四の者」すなわち救い主自らが彼らと共にいらっしゃったからである。救い主と共にいる時に、彼らは火の中であっても、贅を極めた宮殿にいるのと同じ喜びに満ちていることが出来たのである。だからあなたもいかなる試練、いかなる迫害、いかなる困難な時にも「第4の者」と共にいたいものである。このようにする時に全ての者に勝ち得てあまりがあるのである。王いわく、「第四の者の様子は神の子のようだ」と。ここに最も注意すべき事実がある。それは異教国の王が約6世紀の後に現れる彼を、世界の贖い主イエス・キリストとして、すなわち炉の炎の中に認めたという事実である。ネブカデネザルが王達の中の最も大いなる王の前に立ち、またその前には彼の威光はなきに等しい事を知るに至ったのは、ヘブルの三青年の正しい歩みの証と彼らの忠実な宣伝によったものに違いない。
 これらヘブルの三青年が燃える炉から救い出されたことは王の傲慢な行為と怒りにたいする何たる厳しい譴責であろう。地上における何者よりも高い権威が偶像礼拝を断固として拒否した者を擁護し、王の厳命した礼拝を侮辱したのである。いかなる神もいまだかつてこのような驚くべき救助をなした神はない。否、彼らはそれをなしえないのである。


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