8「彼は、雲に乗ってこられる」

 「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。」黙示録1:7  
 「見よ、彼は、雲に乗ってこられる」と。これは黙示録の鍵である。この栄光ある事件はキリストの完全な生涯の七要素、つまり1.彼は神と等しい者であり、神の子としての神格を備えておられる事。2.彼は肉体をとってこの世に降られたが決して罪を犯されなかった事。3.十字架に犠牲になられて死なれた事。4.続いて3日目に復活された事。5.しかし、昇天された事。6.天の聖所において仲保の務めをなされている事。7.王の王、主の主として再臨される事・・・等の諸要素を完結するのである。言うまでもなくこの彼の来臨は字義的なものであって、彼は諸々の御使いを率いて来られるのである。(使徒行伝1:9〜11、マタイ25:31参照)それは決して霊的なものであったり、代理者を使ったりするものではなく、また秘密裡の出来事ではない。それは確かに有形的で万人の目撃し得る事件である。(マタイ24:27参照)しかしその時、義人は「われわれの神」として彼を喜び迎えるが、これに反して悪人にとってはこの日は「盗人がくるように」予期しない時に突如として来、彼らに困惑と破滅とをもたらすのである。(テサロニケ第一5:2,3参照)地の諸族は泣き悲しむであろう。なぜならば、彼らの地につける望みは消滅し、しかものみならずキリストの御前に立つ準備も出来ていないからである。快楽を追い求め、罪に耽溺する人々よ、ここに「すべての人の目、・・・彼を仰ぎ見るであろう。」と記されているように、我々はやがて雲に乗って再臨なさるキリストを仰がなくてはならないのである。はたして諸君は神に会う準備をされたであろうか。我々は今深く自らを省みなければならない。そして今という今、イエスを仰ぎ見て全身全霊を彼に捧げようではないか。
本節の「彼を刺し通した者」とは、この字の示すように、約2000年前にイエス・キリストを十字架上に刺した者達のことを指すのであって、ここには特にそれらの者たちが千々万々の御使いたちを率いて再臨なさる主を見る人々の中にいる事が明記されているのである。すなわちこれによってみれば、彼らは特別のよみがえりによって復活させられる者たちであることは明らかである。(ダニエル書12:1,2、ゼカリヤ12:10参照)なおこの復活の問題に関しては本章第20章において詳論するので本節においてはこの程度にとどめておく事とする。

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