34「服従の勝利」

 

 「そこでネブカデネザルは、その火の燃える炉の入口に近寄って、「いと高き神のしもべシャデラク、メシャク、アベデネゴよ、出てきなさい」と言ったので、シャデラク、メシャク、アベデネゴはその火の中から出てきた。総督、長官、知事および王の大臣たちも集まってきて、この人々を見たが、火は彼らの身にはなんの力もなく、その頭の毛は焼けず、その外套はそこなわれず、火のにおいもこれに付かなかった。ネブカデネザルは言った、「シャデラク、メシャク、アベデネゴの神はほむべきかな。神はその使者をつかわして、自分に寄り頼むしもべらを救った。また彼らは自分の神以外の神に仕え、拝むよりも、むしろ王の命令を無視し、自分の身をも捨てようとしたのだ。それでわたしはいま命令を下す。諸民、諸族、諸国語の者のうちだれでも、シャデラク、メシャク、アベデネゴの神をののしる者があるならば、その身は切り裂かれ、その家は滅ぼされなければならない。このように救を施すことのできる神は、ほかにないからだ」。こうして、王はシャデラク、メシャクおよびアベデネゴの位を進めて、バビロン州におらせた。」ダニエル書3:26〜30

 このような大事件を経てのち、ネブカデネザル王は、シャデラク、メシャク、アベデネゴの神を崇め、彼らの神をののしることを禁じた。カルデヤ人は多分ユダヤ人の神をののしっていたのであろう。その時代には、各国とも各々の神または神々があった。すなわち聖書に「多くの神、多くの主があるようではあるが」と記されている。またある国が他の国を破った場合、敗北した国の神は弱くて戦勝国の手からその国を救うことができないと信じられていた。つまりユダヤ人はバビロン人によって征服されたので、後者はユダヤ人の神を侮蔑したに相違ない。しかし王は今やこれを厳禁とした。なぜならば彼がユダヤを征服することができたのは、ユダヤ人の罪のためであって、神の力が足りなかったためでない事を知ったからである。これは各国の神々に比較して、ユダヤ人の神がいかに卓越しているかを顕著にしたものである。神は人間が正義の高い標準に従うことを期待され、これに反する者を決して不問に附されない事を証しするものである。すなわち神はこれを犯した者を罰し、それに従った者に祝福を与えられるからである。しかしこれらのユダヤ人が主義に固く立たなかったならば、真の神の名はこのようにバビロンにおいてあがめられなかったであろう。彼に忠実に仕える者に神の与えられる名誉は実に大いなるものである。
 王が天の真の神が全ての神々に優る神である事を公然と承認した事は正しい事であった。しかし彼は神の政府の建てられている根本的原則をほとんど知らなかった。神は決して強制的に人を神に従わせようとはしない。だからバビロンの王はこの命令を布告する権威はないのである。彼が死の宣告をもって真の神を拝させようとしたことは、金の像の礼拝を人々に強要したのと同様に神のみ旨に背くことである。政府は国民の幸福のために神の制定されたもので、宗教的奉仕を強制するためのものではない。(ローマ13:1〜7参照)

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