36(続)「ネブカデネザル王の第二の夢」

 第五、神の刑罰にあわれみを交えられる。この木を切り倒せとの命令が出た時に根の上の切り株は地に残し置き、これに鉄と青銅のなわをかけて保護せよと命じられた。これは腐ってしまわないで、再び発芽して大きな木となり得る根本を残すためであった。しかし来る将来の悪人が切り倒される日には、この望みは一つも残されないのである。彼らの刑罰には少しの憐れみも交えられないので、根も枝もことごとく滅ぼされるのである。
 第六、16節に、「七つの時を過ごし」と記してあるが、これは事実の陳述である事が明らかであるから、この時は実際の時である。この期間は幾年間であったろうか。これはネブカデネザルが追われて野の獣と共にいた期間が幾年たつのかを確かめることによって知ることが出来るが、それについて史家ジョセファスは七年間であったと言っている。ゆえに「一時」は一年を意味するのである。
 第七、聖者すなわち天使等は人間の事に深い興味を持っている事がわかる。すなわち彼等はネブカデネザルに対するこの処置を請求した者として現されている。彼等は人間の見ることのできない人の心にある傲慢心がいかに醜いものであるかを見る事が出来たのである。ゆえに彼等は神が摂理によってその欠陥を強制しようとされたこの命令に対して賛意を表したのであった。人間は自己の運命を開拓する設計技師でない事を知らなければならぬと共に、人間の国を治められる者に絶対の信頼を置かなければならない。王としていかに大手腕を振るっていても、彼はそれが為に傲慢になってはならなかった。なぜなら、もし神が彼をその位に置かれなかったのならば、彼はこの名誉ある地位に達することが出来ないからである。
 第八、ネブカデネザルは真の神の黙示が、異教の神々の宣託に比べて天地の相違である事を認めていた。であるから彼はダニエルにその秘密を解き明かす事を求めて、「あなたはその解き明かしをわたしに告げなさい。・・・わがあなたのうちには、聖なる神の霊がやどっているからだ。」と言った。


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