「キリストの力にあって人生の戦いを戦う」

  「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。」(エペソ6:13)


 キリストの御名を唱えるすべての者にこの聖句を繰り返して読ませ、それから自問させなさい。わたしはキリストの共労者として成功することができるために、神の武具で身をかためているであろうかと。自分自身を知れば知るほど、わたしたちは自分の動機と願望がはっきりわかるようになり、自分の力で主の戦いを戦うことがまったく不可能であることをますます深く自覚する。……
 あなたが悪に対する戦いで直面するあらゆる試練と困難を、神は知っておられるということを断固として信じなさい。なぜなら、どの魂でも不信を語ることによって神の力を軽視するなら、神は辱められるからである。
 この世は神の働かれる大きな畑であって、そのひとり子の血によってそこに住む人々を買われた。そしてご自分のあわれみのメッセージをあらゆる人に行き渡らせるおつもりである。この働きにたずさわるようにと任命を受けている者は試され、試みを受ける。しかし彼らは神が自分たちを力づけ、支えるためにそば近くおられることを常に覚えている。神はいかなる折れた葦にも頼るようにとわたしたちに求めてはおられない。わたしたちは人間の助けを求めるべきではない。神はわたしたちが、神のおられるべきところに人を置くことを禁じられる。……主エホバは「永遠(とこしえ)の力」である。
 信仰についての教訓が、バプテスマのヨハネの弟子たちとのキリストの経験の中でわたしたちに与えられている。孤独な地下牢の中に閉じ込められて、ヨハネは失望してしまい、自分の弟子をイエスのところにつかわして、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしようか」と言わせた。キリストはこの使者がやってきた任務を知っておられたので、ご自分の力について力強い実証をすることによってご自分の神性についての間違いようのない証拠を、彼らに与えられた。群衆に向き直られて、キリストが口をきかれると、耳しいはこのお方の声を聞いた。このお方が再び口を開かれると、目しいの目が自然の美しさを見るために開かれた。……苦しんでいる人々に手を伸ばし、さわられると熱が引いた。このお方の命令で悪鬼にとりつかれていた者はいやされ、その足元にひれ伏してこのお方を拝した。それからヨハネの弟子たちを振り返って、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。」と言われた。
 これらの力強い働きをされたその同じイエスが、今日わたしたちの救い主であり、バプテスマのヨハネのためになされたその御力を、わたしたちのためにも喜んであらわそうとしておられる。わたしたちが敵意に満ちた環境に束縛され、克服するのが不可能に思える困難に取り囲まれている時、つぶやくのではなく過去における主の愛情に満ちた優しいふるまいを思い出すべきである。わたしたちの信仰の創始者であり完成者であるイエスを見上げるなら、わたしたちは見えないお方を見ているようにして耐えることができ、こうすることが不信という影でわたしたちの思いが曇らないようにする。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1896年9月17日)

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