20「エペソ教会の内外憂慮」

 しかし初代教会は順調に前進し、安泰の夢をむさぼっていたわけではない。内外の様々な問題があった。まず外敵より激しい攻撃の火矢を浴びせかけられたが、その中で最も残虐を極めたのはネロおよびドミシャン両皇帝の大迫害であり、教会は多くの殉教者を出さなければならなかった。しかし信徒等の信仰はそれによって全く動くことなく、かえって忍耐の美徳を生み出し、固い信仰を大いなる岩イエス・キリストの上に置いて狼狽することはなかった。それだけでなく、そのような外からの患難に加えて内においてもとても深刻な問題があった。すなわち羊の仮面をかぶるオオカミにも似た偽教師は危険極まる異端を唱え、秘かに教会の根底を覆してその光を消滅しようとして働いた。そのために若い伝道者のある者は真理に疑惑を抱き、物新しい方面の事を追究し、「人を惑わす虚しい哲学また世の言い伝え」を論じるようになった。言い換えるのなら、彼らは救に関する単純平明な真理を忠実に伝える事に倦み、その代わりに、無益な宗教上の論議と人の案出した肉を喜ばす怪しい話に耽るようになった。このように一部は真理を捨てて世の言い伝えに走る者もあったが、教会は全体としてこのような人々に惑わされることなく、神の真理は依然として掲げられ、健全な信仰的雰囲気はなお一般的に残されていた。であるからニコライ宗のような異端は強硬な反対に会い、教会内に侵入することでさえ許されなかった。元来このニコライ宗は反道徳的宗教団体であり、人は肉欲をほしいままにしても魂を傷つけることはなく、また姦淫、偶像崇拝も一向差し支えないものと信じている宗派であった。

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