「保護される神の民」

   「主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃っことはない。主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。」(詩篇12:5〜7)

 キリストが聖所における彼のとりなしをやめられるとき、獣とその像を拝み、その刻印を受ける者たちに警告された、混ぜもののない怒りが注がれる(黙示録14:9, 10参照)。神がイスラエルを救い出そうとされたときに、エジプトにくだった災いは、神の民の最後の救出の直前に世界にくだるもっと恐ろしくもっと広範囲に及ぶ刑罰と類似した性格のものであった。……
 これらの災いは、全世界的なものではない。さもないと、地上の住民は全く滅ぼされてしまうであろう。しかし、それでもこれは、人類史上かつてなかった恐ろしい災いである。恩恵期間の終了する前に人々の上にくだった刑罰には、あわれみが混じっていた。キリストのとりなしの血によって、罪人はその罪にふさわしい罰を受けずにすんだのである。しかし、最後の刑罰においては、あわれみを混じえずに怒りが注がれるのである。……
 神の民は苦難を免れるわけではない。彼らは迫害と苦しみに会い、窮乏に耐え、食物の不足に苦しむのであるが、滅びるままにほうっておかれたりはしない。エリヤを養われた神は、ご自分の献身的な子供たちをひとりも見捨てられない。彼らの頭の毛までも数えられるおかたが、彼らを保護し、ききんの時にあって満ち足らせられる。悪人たちが飢えと疫病のために死んでいくときに、天使は義人を守り、その必要を満たすのである。「正しく歩む者」には、次のような約束が与えられている。「そのパンは与えられ、その水は絶えることがない。」「貧しい者と乏しい者とは水を求めても、水がなく、その舌がかわいて焼けているとき、主なるわたしは彼らに答える、イスラエルの神なるわたしは彼らを捨てることがない」(イザヤ書33:15, 16; 41:17)。
 「いちじくの木は花咲かず、ぶどうの木は実らず、オリブの木の産はむなしくなり、田畑は食物を生ぜず、おりには羊が絶え、牛舎には牛がいなくなる。」しかし、主を恐れる者たちは、「主によって楽しみ、わが救いの神によって喜ぶ」(ハバクク書3:17, 18)。……
 「昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。」「主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない」(詩篇121:5~7; 91:3~10)。(各時代の大争闘下巻40〜405)
 生ける神の印を受け、悩みの時に保護される人々は、イエスのかたちを完全に反映していなければならない。(初代文集149)
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