21「悔い改めよ」

 前述のようにニコライ宗を始め異端の侵入は許されなかったが、キリストに対する熱愛の精神およびその伝道心は阻害され教会が堕落の道を辿り始めたのは事実である。すなわち彼らは徐々に「初めの愛」を離れるに至った。教会は愛によって結合した神聖なキリストの妻として象徴されているが、その愛を離れる事は大いなる罪悪であり、種々の罪悪の起因となるものである。そして後の時代の教会においてもこの状態はみられるに至ったのである。
 そもそも愛と光との間には不可分の関係がある。すなわち神は愛であり光であられるので、愛の欠乏する時にはまたおのずと光も失われるものである。光の輝かぬ燭台は無用である。そのように、神の光を発しない燭台、光の失せた教会は社会にとって無益のものとなってしまう。
 この恐るべき惨事を避けるために「初めの愛」を離れた者に対し「悔い改めて初めのわざを行いなさい」と勧告されている。20世紀訳聖書には「悔い改めて汝が前に生活したる如く生活せよ」とあり、またウエマウス訳聖書には「直ちに悔い改め汝が初めになしたる如く行え」とあるが、真に今日という今日、我々は自分の全ての罪を悔い改めてキリストの御許に行き、その罪を告白して、彼に全き屈服をなし、愛の生活に立ち返らなくてはならないのである。そのような人は人類に対するキリストの愛に励まされ、たとえ古い信者とはいえ、新たに改心した者のように新たな経験を語り、神を賛美する新たな歌を歌う事ができるのである。そしてこの経験もった全てのクリスチャンは伝道精神に燃やされ、常に罪に陥らないように自らを戒めるであろう。実に初代教会の失敗は、我々が常に熱い信仰を持ち、愛の生活に生き、試練の時にも目を醒ましていなければならないという重大な教訓をわれわれに示すものである。


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