48「ししダニエルを害せず」

  

 「こうして王はその宮殿に帰ったが、その夜は食をとらず、また、そばめたちを召し寄せず、全く眠ることもしなかった。こうして王は朝まだき起きて、ししの穴へ急いで行ったが、ダニエルのいる穴に近づいたとき、悲しげな声をあげて呼ばわり、ダニエルに言った、「生ける神のしもべダニエルよ、あなたが常に仕えている神はあなたを救って、ししの害を免れさせることができたか。」ダニエルは王に言った、「王よ、どうか、とこしえに生きながらえられますように。わたしの神はその使をおくって、ししの口を閉ざされたので、ししはわたしを害しませんでした。これはわたしに罪のないことが、神の前に認められたからです。王よ、わたしはあなたの前にも、何も悪い事をしなかったのです。」そこで王は大いに喜び、ダニエルを穴の中から出せと命じたので、ダニエルは穴の中から出されたが、その身になんの害をも受けていなかった。これは彼が自分の神を頼みとしていたからである。王はまた命令を下して、ダニエルをあしざまに訴えた人々を引いてこさせ、彼らをその妻子と共に、ししの穴に投げ入れさせた。彼らが穴の底に達しないうちに、ししは彼らにとびかかって、その骨までもかみ砕いた。」ダニエル6:18〜24

 ダニエルがししの穴に投げ込まれてから後に王の取った態度は、彼のダニエルに対する同情が真心からであった事と、この事件に関し、自己の取った行動の為に厳しく良心の呵責を受けていた事を証しするものである。暁を待って王は総理大臣が飢えた猛獣と共に一夜をあかしたししの穴に急いだ。王の挨拶に対するダニエルの応答は、王が迫害者に対して許可を与えたことを非難する声ではなかった。かえって「王よ、どうか、とこしえに生きながらえられますように」という尊敬の祝福であった。しかしその後に至ってダニエルは、王が刺されるように感じてもその感情を害しないように、「王よ、わたしはあなたの前にも、何も悪い事をしなかったのです」と王の注意を促した。こうしてダニエルに罪がなかったために、彼が常に忠実に仕えるところの神が、その使いを遣わしてししの口を閉ざされたのである。
 ここにダニエルが地上のいかなる権力よりも高い権力によって保護された事が記録している。彼の行為は擁護され、彼の罪なき事は証明された。そして彼は神を信じたため、害を受けなかった。すなわち信仰の故に奇跡が行われたのである。そうならば、何故ダニエルを※讒言(ざんげん)した者がししの穴に投げ入れられたのかというとそれは彼等がダニエルの保護されたのは奇跡ではなく、ちょうどその時ししが満腹であったからであると言ったためであろうと推察されている。そこで王はそうならばししはあなたがたをもダニエルの様に害しないであろうと言って、彼等をししの穴に投げいれたのである。ししは大いに飢えていて彼等が投げ入れられるやいなや、罪深き彼等をことごとく噛み砕いてしまった。このようにダニエルは重ねて擁護された。そしてソロモンの「正しい者は、悩みから救われ、悪しき者は代ってそれに陥る」(箴言11:8)との言葉が字義的に成就したのである。(※事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと。) 

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