61「いと高き者の聖徒を悩ます」

 

  「彼はこう言った、『第四の獣は地上の第四の国である。これはすべての国と異なって、全世界を併合し、これを踏みつけ、かつ打ち砕く。十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す。彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。しかし審判が行われ、彼の主権は奪われて、永遠に滅び絶やされ、」ダニエル書7:23〜26


 「恐ろしい、ものすごい、非常に強い獣」の十の角は、すでに学んだようにローマより起こる10カ国を代表しているのである。そして歴史は紀元350年より476年の間に、欧州の北方および東方の十の種族が、その時までローマの支配していた領土内の各所に政府を建てた事を記録している。首都ローマは紀元476年に陥落し、かくてローマはついに分裂したのであるが、ほとんどすべての歴史家はローマ分裂後の諸国とは、アングロサクソン、フランク、アレマニイ、スウエーブ、西ゴート、東ゴート、ヴァンダル、ブルグンド、シャクリス、およびヘルリイの十種族であると言っている。ローマより分裂した全ての国が、今日まで継続しているのではない。それらの国々の間には時々戦争があって、ある者は強く、ある者は弱くなった。またその領土にも幾多の変遷があった。この中今日まで続いているものをあげてみればアレマニイがドイツとなったその事はフランス語では今なおアレマンデと称されているのでもわかる。西ゴートは現代のスペインの先祖であった。ブルグンドの一部とシャグリスおよびフランクの全部が今のフランスとなった。ゆえにフランスにはいまなおバーガンディーと称する大きな県がある。そしてブルグンドの残部はスイスとなり、アングロサクソンは英国を起こした。またポルトガルはスウエーデンの後裔である。ゆえにわれらはこれを総括していうならば、十種族の中六つは今日の、英国、フランス、スペイン、ポルトガル、スイスおよびドイツであるということができる。
 他の三種族の運命については「わたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった」(ダニエル書7:8)。ダニエルが幻の中で見聞きした事に再び注意を促したいと思う。ここに十の角の中に小さい角が現れて、十の中の三つを滅ぼす事と、その新しい角は前者と全く異なっているという事が預言されているのである。
 歴史に照らし合わせてみるなら、ローマが十カ国に分裂して後、その中の三カ国を征服する新しい国は一つも起こらなかったのである。ゆえにこの預言を成就し得る唯一の権力は法王権であった事が明らかである。十カ国はすべて政権であった。しかし法王権は他のものと異なって宗教上の権力であった。そして法王権が十カ国の中の三つを倒した顚末は次のとおりである。
 キリスト教会は紀元前1世紀においてローマ帝国の各重要な都市に設立された。そこで大都市にある教会の監督は漸次非常な権力を有するにいたった。そしてローマは同帝国の首都であるがゆえに、ローマ府の教会監督は自然他の大都会の教会監督の首領となったのである。であるから時を経るにつれて、ローマ府の監督の地位は名誉と権力を愛する者の羨望の的となった。そしてこのような人々は常にその地位の権力を増加しようと努めた。であるからローマ府の教会監督の地位は、ついにローマにおいては皇帝に次ぐ重要な地位となった。のみならず彼の権力は全帝国のキリスト者の間に認められるようになった。そして紀元476年にローマの最後の皇帝が廃せられて、いよいよ十カ国に分裂した時、ローマには地位において教会監督の右に出る者がなかったのである。
 しかるにこの当時教会内に、キリストの神性に関して論争が起こって、エリヤン派(アリウス派)とアサナシヤン派(アナタシウス派)との二派に分かれたが、ローマの監督は後者に属していたのである。そしてローマを滅ぼした十種族は全てクリスチャンではあったけれども、その中三つはエリヤン派に属していたために、ローマ府の教会監督の敵となったわけであった。そのうえこれらエリヤン派の三カ国は今日のイタリアおよびその付近の地方に領土を持っていた為に、その領土がローマより遠距離のところにあるよりももっとローマ府の権力に対する威嚇であった。であるからローマの監督は、初めに三カ国の中二カ国を扇動して兵火を交える事に成功したが、その結果ヘルリイは滅んでしまった。ここにおいて監督は他の二カ国を阻止するために援助を求めるが、この求めに応じたのはコンスタンチノーブルを首府とする勢力のあるヂヤスチニヤン帝(ユスティニアヌス帝)であった。そして紀元533年に、彼は「ローマ府の監督が全教会の首長で、異端者を懲らしめる者である」事を宣言し、ベリサリアスを将とする大軍をエリヤン派の国々に遣わして、ローマ府の監督に従えと迫った。そしてヴァンダルおよび東ゴートは大いに抵抗したためついに滅ぼされるに至ったが、最後に東ゴートが致命的戦争をして敗れたのは紀元538年のことであった。そして彼らの離散した亡命者が全部捕えられまでにその後15年の歳月を要したけれども、その時以来、彼等の国々は滅んでしまったのであった。このようにしてわずか数年間の間にすなわち紀元538年までに、三カ国はローマ監督に服従しなかったために滅ぼされたのであった。最後に出て来た小さい角は「その形は、その同類のものよりも大きく見えた。」とあるように、彼は首尾よく他の三つの角を根より抜き取ってしまったのである。

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