「天国の市民」

 「そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。」(エペソ2:19)

 神の民―真のイスラエル―は、すべての国々に散らばっているけれども、地上においては国籍を天に持つ旅人にすぎない。(人類のあけぼの下巻55)
 主の家族に受け入れられる条件は、世から出ることであり、そのあらゆる汚れた影響から離れることである。神の民は、どのような形の偶像崇拝ともつながりを持つべきではない。わたしたちは世から区別されるべきである。その時神は、「わたしは、あなたを王家の一員、天の王の子として受け入れよう」と言われる。真理を信じる者として、わたしたちは習慣において罪と罪人から明確に識別されるべきである。わたしたちの国籍は天にある。
 わたしたちは、神がわたしたちになされた約束の価値をはっきりと悟るべきであり、神がわたしたちに与えられた誉れをもっと深く理解すべきである。死すべき者にとって神の家族の養子とされることほど大きい誉れはない。そして、彼らに神を父と呼ぶ特権が与えられるのである。神の子になることは、少しも恥ずかしいことではない。(クリスチャン教育の基礎481)
 わたしたちは、この世において寄留者であり旅人である。わたしたちは、待ち、見張り、祈り、働くべきである。思いのすべて、魂のすべて、心のすべて、力のすべては神の御子によって買い取られたものである。わたしたちはある特定の色や形の寄留者の服を着ることがわたしたちの義務であると感じるべきではない。そうではなく、霊感を受けた御言葉が着るように教えている、きちんとした、質素な服装をすべきである。もしわたしたちの心がキリストの心と一致しているならば、わたしたちはこのお方の義によって覆われたいという非常に強い願いを持つのである。そのような人は、注意をひいたり、論争を引き起こすようなものを身につけるようなことはないのである。
 キリスト教―それがどんなものかを知らない者がなんと多くいることだろう!それは何か外面を飾るようなものではない。それはイエスの生涯が織り込まれた生涯である。それはわたしたちがキリストの義の衣を着ているという意味である。(牧師への証130,131)
 天の市民は、地上でも最もよい市民となります。神に対する義務を正しくみとめるとき、人類に対する義務もはっきり認識されるようになります。(青年への使命330)

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