44「サルデス教会の霊的状態」

 この教会には聖霊を代表する神の七つの霊を持った者が語っているが、これはキリストの霊と神の霊が一つである事を示しているものである。(黙示録1:4)
 サルデス教会の霊的状態は、「あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる」との簡潔な言葉をもって述べられている。これはサルデス教会が霊的には死滅状態に陥っている事を意味したものであるが、何と悲しむべき状態ではないか。宗教改革の初期においては、信仰による義およびキリストのみが神と人との間の唯一の仲保者であるという健全な原則に導かれて大事業が遂行された。しかし間もなくこの改革運動は枝葉の問題に走り、形式に流れるに至った。神はその召し出された者に対し、それがいかに重大な問題であったにしてもただ一つの点のみでなく、あるいは教理の数点でもなく、完全に改革することを望まれるのである。すなわちその完全な改革とは、我々の品性の上に徹底的変化が実現されることを意味するものであり、神はこのことを望まれるのである。ただ単に教理に同意し、教会名簿に名を記録されただけでは十分でない。我等はただ名だけでなく、生命を持たなくてはならない。そしてサルデスの教会は世俗の名声や人気や繁栄を欲し、自負および傲慢の念が強かったために、謙遜の念は失せ、熱心に聖書を研究しようとする精神は衰えてしまった。そこにはあたかもパウロが第二伝道旅行において経験したギリシャペレア人のような熱心さはなかっただけでなく、かえって古代のエジプトの文明を退廃に導いた保守主義のようなものであって、当然死と沈滞とに陥らせるものであった。すなわち「わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていな」とのみ言葉通りであった。
 当時における著名な一改革者はこのように言った。「私は神および聖天使たちの前において諸君に勧告する。私が主イエス・キリストに従っている限り、諸君が私に従うことを希望する。主はさらに御言葉の中より、より多くの真理を輝き出させるであろう。あなたは新教諸教会が改革の道程にありながら、先駆者の主張を固守するにとどまって、それ以上の改革に出ない状態は、悲しんでもなお足らないものがあると思う。ルターおよびカルビンはその当時の大いに輝ける光であった。しかし彼らも聖書の真理を全部悟っていなかった。私は諸君に勧告する。神の御言によって諸君に示された真理は、何事であってもこれを信受することは、わが教会における誓約の一つである事を記憶される事を」と。
 元来神は聖書の全ての真理を一度に開示されない。時代が進むに従って漸次その範囲を広げていく。もし後代の教会が始めの改革者が抱いた信仰をただ継承するだけにとどまっていて、それ以上の事に出ないならば、それは決して真理に忠実であるとは言えない。なぜならば、神は必ず他の新たな真理を示して、我等がそれを信奉すると同時にそれに従順であることを望んでおられるのである。
 重大な時期に際して熟睡する事はきわめて危険な事である。キリストは信徒に対して「目を醒ましていなさい」と勧告される。それは「油断することなく注意する」ということを意味する。「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである」(マタイ24:42)。「だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう」(第二テサロニケ5:6)。全て名だけの信徒および罪の中に沈める魂に対して、キリストは「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい」(エペソ5:14)。と語られるのである。
 「残りの者たちを力づけなさい。」これをみると、サルデス時代においてもなお義人が存在していたことを窺い知ることができる。キリストは「また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす」(イザヤ42:3)方である。そうならば僅かの義人のためにも常に変わらない愛護の御手を差し伸べられるのである。


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