47「ヒラデルヒヤ時代」

 「ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。 忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。』」黙3:7−13
 七つの教会の預言研究が我々の時代に近づくにつれて興味津々となってくる。このヒラデルヒヤ教会時代に生まれたもので今なお存在している者もある。そしてその時代における主な出来事は1830年以降1844年までの間に起こったもので、今を去る約100年前(この本が書かれ時から、現代からは約180年前)の事である。
 ヒヤデルヒヤという名は、その創始者であるアタラス・ヒラデファスからきている。この町の東方には延々と続く一大高原があって、町の防壁をなしていた。のみならず、この町は大街道の要路にあって、交通上の鍵を握っていた。この町がこのような環境にあったという事は、我らの入るべき戸の鍵を所持する者の使命を研究するに際して、それに一段の興味を添えるものである。
 ヒラデルヒヤには我が国と同じ様にしばしば地震があった。この町は紀元前17年に他の11の町と共に破壊されたが、このため市民は関東大震災の後に日本人が経験したように、しばしば戸外に数週間を過ごさなくてはならないようなことがあった。ゆえにヒラデルヒヤ教会がヨハネの使命、すなわち「決して二度と外へ出ることはない」との約束を読んだ時に、彼らは大いなる慰めを得たに違いない。絶えず悲惨な地震の災難に悩まされていた彼らは、新天新地における神の都、すなわち永遠に安全な新エルサレムを憧憬したのであった。
 このヒラデルヒヤ市は現在ではアラシエア「神の都」「高き町」という名の下に存在している。そしてそこには数個の教会もある。なお古跡の中に昔の一大円柱が人々の目をひいているが、それはヒラデルヒヤ教会への使命の書簡中にある「勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない」との驚くべき言葉を想起させる。
 ヒラデルヒヤとはかつて人間の唇から発せられた言葉の中、最も美しいものの一つである。すなわちそれは「兄弟の愛」という意味を持っている。その語源となったヒラデルファスおよびこのように命令したところの者もこの深淵なる意義を知らなかったのであろう。しかし彼等は全ての律法を成就するところの二大律法、すなわち神に対する愛と人に対する愛の律法を教えられた我らの真の長兄であられるキリストを知らなかったからである。実にこの「兄弟愛」は人の子キリストをゲッセマネの園において我らの罪のために血の汗を流させ、またその翌日、もし我らが信じるのなら、読者ならびに我ら一同を救うために、最も残忍な死を甘受されたのであった。そしてこの「兄弟愛」は信仰によってキリストに接触している者のみが持つことのできるものである。

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