「感化力の管理者」

 「それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。気をつけて、神の恵みからもれることがないように……しなさい。」(ヘブル12:12-15)

 わたしたちの目とわたしたちの内面の心の生活を読むことができない他人の目に大きく映るようになるまで、自分たちの困難を考え込み、そうすることによって信仰の糸を切ることのないように、わたしたちはこれらの御言葉から十分に注意することを学ぶべきである。すべての人は、会話が良くても悪くても大いなる感化力を持っているということを覚えるべきである。……敵があなたの舌を用いるのを許してはならない。……震えおののいている魂を神から離すような感化を及ぼしてはならない。……
 神の息子、娘はキリストの霊の恵みを大切にし、それを表さなくてはならない。彼らの謙遜、悔い改め、イエスのようになり、イエスの教えを日々の生活において実行することによって、このお方の御心に従いたいと願うことによって、彼らはこのお方を尊ぶのである。……
 「あなたがたは神の畑」(コリント第一3:9)である。人が畑を耕すのを喜ぶように、主はご自分を信じる息子、娘を喜ばれる。畑は絶え間ない労力を必要とする。雑草を取り除かねばならない。新しい作物を植えつけねばならない。あまりにも急速に伸びた枝は剪定しなければならない。そのように主はご自分の畑、ご自分の作物のために働かれる。このお方は、キリストの品性の恵みを表さないいかなる成長もお喜びにはならない。キリストの血は、男女を神の尊いものとした。だから各自は、主がご自分の畑に植えられた植物をあまり自分勝手に抜き取ることのないように、どれほど気をつけなければならないことか。ある作物はあまりにも弱くて彼らの命を保つことが困難なので、主は、それらのために特別な世話をなさるのである。
 同胞との交わりにおいて、あなたが神の所有物を取り扱っているのだということを決して忘れてはならない。親切になりなさい。同情深くなりなさい。礼儀正しくなりなさい。神の買い取られた所有物を尊びなさい。互いに親切と礼儀を持って取り扱いなさい。神から与えられたすべての能力を、他の人々の模範になるように用いなさい。……
 あなたが憐れみと同情と愛を示したゆえに、心とその気紛れをすべてご存じであられるお方が、憐れみをもってあなたを取り扱ってくださるようにしよう。……(レビュー・アンド・ヘラルド゙1897年8月24日)

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