73「雄山羊と雄羊との戦い」


 「わたしがこれを考え、見ていると、一匹の雄やぎが、全地のおもてを飛びわたって西からきたが、その足は土を踏まなかった。このやぎには、目の間に著しい一つの角があった。この者は、さきにわたしが川の岸に立っているのを見た、あの二つの角のある雄羊にむかってきて、激しく怒ってこれに走り寄った。わたしが見ていると、それが雄羊に近寄るや、これにむかって怒りを発し、雄羊を撃って、その二つの角を砕いた。雄羊には、これに当る力がなかったので、やぎは雄羊を地に打ち倒して踏みつけた。また、その雄羊を、やぎの力から救いうる者がなかった。」ダニエル8:5〜7

 預言者は「わたしがこれを考え、見ていると」と、真理を愛し神の国の事を尊重する全ての者に好範例を残している。かつてモーセは燃える柴を見た時、「行ってこの大きな見ものを見」ようと言った。しかし現代、自己の享楽や業務をしばらく置いて、神の恩寵と摂理の下に特に注意を促されつつある重大な問題を探究する者がきわめて少ないのは実に遺憾である。
 第5節に示された象徴は、天使により次のように解き明かされている。すなわち第21節に「また、かの雄やぎはギリシヤの王です」と記されている。これがギリシャ人、すなわちマケドニヤ人の象徴としていかにふさわしいかについて監督ニュートン氏はマケドニヤ人の事を、「ダニエルの時代より約200年前からイーギアデー(Aegeadae)すなわち山羊族と称していた」と言っている。さらに同氏はその名の語源について偶像教の著書中より下記の一部を引用している。
 「第一の王カランヌスはギリシャ人の大群を率いてマケドニヤに新領土を発見しようとした時、その案内者として山羊をつれていけとの神託をうけた。そして後大暴風雨に会う山羊の群を見、これにしたがってエデサに行き、そこを帝国の首府とし、山羊を国旗に描き、町をイーギー(Aegae)すなわち山羊の町と名付け、その民をイーギアデー(Aefeadae)すなわち山羊族と呼んだ。「イーギーの町はマケドニヤ王朝の墳墓の地である。またアレキサンダー大帝の息子がロックスアナ(Roxana)によってアレキサンダー・イーグース(Alexander Aegus すなわち山羊の子と命名されまたアレキサンダー大帝の後継者のある者は、その貨幣に山羊の角をもって代表されている事は実に注目に値する点である。)(dssertation on the Prophecies 238p)
 雄山羊は西より来た。すなわちギリシャペルシャの西である。「全地のおもてを飛びわたって」とは、彼の過ぎるところはことごとくこれを征服し、一つとして残したところはなかったという意味である。
 「その足は土を踏まなかった」とは、彼の行動がいかにも迅速で、土に触れないもののように、破竹の勢いで国々を征服したという意味である。この点は第7章の幻には豹の4つの翼によって象徴されていたのである。
 「目の間に著しい一つの角があった」とは、21節にマケドニヤ帝国の最初の王であると説明されている。すなわちアレキサンダー大帝のことである。
 第六、第七の両節は、ペルシャ帝国がアレキサンダー大帝によって転覆されたという簡潔な記録である。ギリシャ軍とペルシャ軍との間に戦われた戦争は実に猛烈を極めたものであったといわれている。歴史の示すその激戦の光景を、この預言には雄山羊が盛んな勢いをもって川の上に立てる雄羊に向かって突撃する光景をもって描写しているが、実にそのとおりであった。すなわち、最初にアレキサンダー大帝はフリギアのグラナイカス川においてダリヨスの大群をやぶり、次にキリキヤのイツススにおいて、最後にシリヤのアルベラにおいて、ついにダリヨス軍を絶滅させた。この最後の激戦は紀元前331年であったが、この時からペルシャは滅び、アレキサンダー大帝が全ペルシャの元首となったのである。監督ニュートン氏は、6節の「この者は、さきにわたしが川の岸に立っているのを見た、あの二つの角のある雄羊にむかってきて、激しく怒ってこれに走り寄った。・・・」の聖句を引用して次のように記している。何人でもこれらの聖句を読む時に、ダリヨス軍勢がグラナイカス河岸に立ってこれを防御している光景と対岸にあるアレキサンダーの大軍が川に飛び込んでこれを横切り、非常な勢いをもって敵軍に肉迫している有様を想像せずにはいられない。」(同上339)
 トレミー年代記によれば、アレキサンダー大帝の治世の第一年を紀元前332年としているけれど、彼が実際にペルシャの全領土を統治するに至ったのは、その翌年に戦われたアルベラの役の後の事である。アルベラ戦役の決戦の前夜、ダリヨス王は主なる皇族10人を遣わしてアレキサンダー大帝によって、ことごとく蹂躙されてしまう事を示している。二つの角は砕かれ、雄羊は地に打倒されて踏みつけられた。すなわちペルシャは征服されてその国は荒らされ、その軍隊は離散され、その都市は略奪され、その首都パ−セポリスでさえ世界の七不思議の一つであった荘厳な建築物と共に焼き払われてしまった。このように雄羊は雄山羊の前に立つ事ができず、ついに前者を後者の手より救いうる者はなかった。

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