「試みの時のために」

 「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」(ヤコブ1:12)

 闇の権力が魂の回りを囲み、イエスをわたしたちの目の前から見えなくし、その雲が過ぎ去るまでは、悲しみと驚きの中で待つことしかできないことが時々ある。このような時は、時にはつらいものである。望みがなくなっていくように思え、絶望がわたしたちを襲う。このような恐ろしい時に、わたしたちは主を信頼し、贖いの功績にだけ頼ることを学ばなければならない。そして、十字架につけられ、よみがえられた救い主の功績に無力で無価値な状態の自分を投げ出すのである。わたしたちはこのようにする時、決して、決して、滅びることがない。光がわたしたちの道に輝く時、恵みの力の内に強くなることは、それほどむずかしいことではない。しかし、雲がわたしたちを囲み、すべてが暗い時に希望を持って忍耐深く待つことは、信仰と従順が必要であり、それによってわたしたちの意志が神のみ心にのまれるのである。わたしたちは、耐えるための忍耐と勝利するための恵みを嘆願すべき時に、本当にすぐ落胆して、試練が取り除かれるように熱心に祈るのである。(教会への証1巻309,310)
 心と魂と思いをもって神に向かう者は、このお方の内に穏やかな平安を見出す。……神はわたしたちが何を必要としているか、何に耐えることができるかをよくご存じであり、このお方がわたしたちにもたらされるすべての試練と試みに耐えるための恵みを与えられる。わたしの絶えざる祈りは、神にさらに近づくことである。(神のむすこ娘19)
 神は大いなる愛をもって、わたしたちのうちに聖霊による尊い徳を育成しようとしておられる。神がわたしたちに障害や迫害や困難のくるのをお許しになるのは、のろいとしてでなく、わたしたちの生涯の最高の祝福としてである。うち勝ったあらゆる試み、勇敢に耐えたすべての試練は、わたしたちに新しい経験を与え、わたしたちの品性建設の働きを押し進める。神のみ力によって試みに抵抗した人は、世界と全天にキリストの恵みの力をあらわすのである。(祝福の山147)
 神の指導に従い、神に仕えるために一生をささげる者が神が備えられない境遇に陥ることは決してない。もしわたしたちが神のみ言葉を行っていれば、境遇がどうであっても、みちびき手である案内者があり、どんな困惑に遭遇しても確かな相談相手があり、どんな悲しみ、死別、孤独の中にあってもわたしたちには同情深い友人がいるのである。(ミニストリー・オブ・ヒーリング226


 もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村