131「オーガスタ・シーザー」

 「彼に代って起る者は、栄光の国に人をつかわして、租税を取り立てさせるでしょう。しかし彼は、怒りにも戦いにもよらず、数日のうちに滅ぼされます。」ダニエル11:20

 ジュリアス・シーザーに代わって王位についたのは彼が後継者として養子にもらっていた甥のオーガスタス・シーザーであった。彼は叔父の養子になった事を公然と発表し、その名を継ぎ、またオクダビアナスの名を加えて、ジュリアス・シーザー・オクタビアナスと称した。また彼は叔父の仇を報いる為、マーク・アントニーおよびレビタスと同盟して、いわゆる三頭政治を組織して国内を平定した。元老院は彼の遺功を顧みて贈るのにオーガスタスの尊号を使用した。後アントニーもレビダスも死んでしまったので、ローマの全権はことごとくオーガスタス・シーザーの手中に帰した。
 オーガスタス・シーザーが厳しく租税をとりたてたことは隠れもない事実で、ルカはキリストの誕生に際して起こった事件を次のように記している。「そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た(徴税の為)」(ルカ2:1)と。この聖句は英訳によれば「人口調査」という語が「租税を徴収する」とあるから、より意味が明瞭である。全世界の租税を徴収する事は注目するに足る事件である。そしてその詔を出した者を“A raiser of takes”と呼ぶのは何よりもふさわしい称号ではないか。つまりオーガスタス・シーザーは公益を計った人の代表ではなく、当時までのローマにかつてなかった正確な租税徴収者であったのである。
 本節に「栄光の国」とあるが、これはローマがオーガスタスの時代に到って全盛時代に達したことを指したものである。ゆえに「オーガスタス時代」といえばローマ史における黄金時代としてだれでも知るようになったのである。実にローマはこの時以上に栄えた時代はないのである。すなわち天下は泰平であり、正義は行われ、奢侈は抑制され、国民は訓練され、また教育は奨励されていた。またこの時代にはヤナス(軍神)の神殿はローマ建国以来三回目に閉鎖されたが、それは全世界が平和である事を象徴したのであった。そしてこの時代に我等の主イエス・キリストユダヤベツレヘムにおいて生誕された。さて、オーガスタスは租税徴収の詔を発布してからわずか18年足らず後に、すなわち預言者の目から観察すれば「数日の中」に、「怒り」「戦闘」中ではなく、静養のために転地していたノラの床中に、紀元14年齢76歳をもて平和のうちに大往生を遂げた。

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