97「小羊の怒り」


 その日になれば、現世的安泰の夢はついに破られるのである。自らの地上的権勢に驕り、自分よりも力ある者はないと自負する王たちも、この時には王の王、主の主の存在を認め、地位や身分の高い者も地上のそれにはるか優る尊い方がいるのを知って、地の一切の栄華の虚しさを見るであろう。また富者はその日になれば彼らの持っている金銀も彼らを救いえないのを見、これをねずみの穴とこうもりの穴に投げ捨てる事であろう。将軍、勇士も自らの権勢、威力に頼れない事を悟り、あらゆる奴隷、自主も―上から下に到るまでのすべての悪者は―驚愕、狼狽、絶望の淵に陥らねばならない事であろう。救いを授ける神にかつて一度として祈祷を捧げたことのない彼らは、今は岩と山に向かって悲嘆の声を上げ、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ」と哀訴し、何とかして自分の罪と欲との生涯が結んだ実を刈り取らないようにする。また何とかして今まで積んできた恐るべき怒りの杯を避けようとする。何とかして自らを葬り去り、自分の罪の歴史を永遠に帳消しにしたいと思うのである。そこで彼らは地面に生じた裂けめに隠れ、穴に逃れるが、時期はすでに遅く、彼らは自らの罪を隠ぺいする事もできなければ、永く延期されていた刑罰より免れえないのである。
 決して来ることはないと思っていたその日はついに来て、罠のように彼らに臨み、彼らは必ず、「御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」との悶声をあげざるをえないのである。そうならば読者がこのようなことに到らない前にこの事を慎重に考慮される事を望む次第である。
 今は祈祷を無意味なこととして軽んじ、嘲笑する人も多くいるが、遅かれ早かれいつか万人はどうしても祈らざるを得ない時がくるであろう。今悔いて心をもって神に祈らない人は岩と山とに向かって絶望のうちに祈らねばならない。


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