「与えて受ける」

 「ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。」(マタイ10:8)

 イエスは「わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」と言われた(ヨハネ4:14)。聖霊があなたに真理を開かれる時、あなたはもっとも尊い経験をしっかり胸にいだき、あなたに示された慰めの数々を他の人々に語りたいと切望する。その人々と交際するとき、あなたはキリストの品性や働きについて何か新しい思想を伝えるであろう。あなたは主イエスのあわれみ深い愛についてあらたに示され、それを主を愛する人にも愛さない人にも伝えるようになるであろう。……
 一度キリストの愛を味わった心は、もっと深く飲むためにたえず呼び求める。そして与えるにしたがって、より豊かに、より潤沢に受けるのである。魂に対する神の啓示はすべて、知る能力と愛する能力を増し加える。魂は「もっとあなたを」と叫びつづける。……失われた人類の救いのためにご自身をむなしくされたイエスには、聖霊が限りなく与えられた。同じように、主が内にお住まいになれるように全心をささげる時、キリストに従うすべての者に聖霊が与えられるのである。わたしたちの主ご自身が、「御霊に満たされ」なさいと命令されたが(エペソ5:18)、この命令は成就する約束でもある。キリストの中に「すべての満ちみちた徳を宿らせ」(コロサイ1:9)、「そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされ」ることは父なる神の喜ばれるところであった(コロサイ2:10)。(祝福の山24,25)
 神の御霊とこのお方の恵みがもっと多くわたしたちの日毎の経験に入れられることによって、不和が少なくなり、わたしたちはもっと幸福になり、もっと人々に与えるようになるのである。(天国で307)
 キリストは大中心、すなわちすべての力のみなもとである。……どんなに賢明な者でも、どんなに霊的な心を持った者でも、受けるときにのみ与えることができる。彼らは自分自身では魂の必要を何一つ満たすことができない。われわれは、キリストから受けるものだけを与えることができる。われわれはまた、他人に与えるときにのみ受けることができる。われわれは、たえず与えるときに、たえず受ける。そして多く与えれば与えるほどますます多く受ける。こうしてわれわれは、たえず信じ、頼り、受け、与えることができるのである。(各時代の希望中巻112,113)


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