107「14万4千人」


 「わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。ユダの部族のうち、一万二千人が印をおされ、ルベンの部族のうち、一万二千人、ガドの部族のうち、一万二千人、アセルの部族のうち、一万二千人、ナフタリの部族のうち、一万二千人、マナセの部族のうち、一万二千人、シメオンの部族のうち、一万二千人、レビの部族のうち、一万二千人、イサカルの部族のうち、一万二千人、ゼブルンの部族のうち、一万二千人、ヨセフの部族のうち、一万二千人、ベニヤミンの部族のうち、一万二千人が印をおされた。」−黙示録7:4〜8
 印された者の数は14万4千とここに数えられているが、12部族中各1万2千ずつ印される事実から、この印する働きは少なくても存在していた福音時代の当初にすでに成就していたものに違いないと想像する人も多いことであろう。彼等はこれらイスラエルの氏族間の区別が存在していた当時のことですでに全くそれが消滅した今日、いかにそれが適応され得るか了解に苦しむのである。しかしこの種の人々に我々はヤコブ書の冒頭にある言葉を示したいと思うのである。すなわち「神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから、離散している十二部族の人々へ、あいさつをおくる。わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい」(ヤコブ1:1,2)。ヤコブがこの書を贈った当時の対象となる者は1.クリスチャンである。なぜなら彼らはヤコブの兄弟であるがゆえである。2.しかし、彼らは決してその当時の12部族のユダヤ教から改宗してキリスト教に加入したものではない。その事はヤコブが主の再臨について語っているところをみても判然とすることである。(ヤコブ書5章参照)すなわち彼はまたこれによって終末のクリスチャンすなわち現時代のクリスチャンに語り、彼等を離散した12部族とよんでいるのである。なぜこのようなことがありえるのかというと、それについてパウロがローマ書11章17〜24に説明している。すなわち彼はここに接ぎ木のたとえを引用しているが、その中の良いオリブの木はイスラエルを象徴している。そしてある枝すなわちアブラハムの系統的子孫は不信仰(キリストに対し)のために折られ、キリストに対する信仰を通し野のオリブの枝である異邦人が良いオリブの台木に接がれ、そのようにしてイスラエルの12部族は永続するのである。加えてなおここに同じ使徒が次のように説明しているのを発見する、「イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではなく、・・・」「というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、・・・」(ローマ9:6〜8,2:28,29)。なおまた、新エルサレム―これは昔のユダヤの都ではない。新約の都、クリスチャンの都である。―の門の上にイスラエルの12部族の名が記されているのを見出す。すなわちこの都の基の上に小羊の12使徒の名があり、門の上にはイスラエルの12部族の名が書かれているのである。(黙示録21章12−14参照)しかしもし12部族が旧約時代にのみ限られたものならば、むしろその名は基の上に記され、12使徒の名が門の上に記されるのが当然であるのに、12部族の名がかえって門の上に記されているのである。そして全ての贖われた者は、それが地上におけるユダヤ人であろうと異邦人であろうと区別なく、ことごとくイスラエルの12部族の者としてこの12部族の名の記された門より出入りするのである。もちろん今までは地上においてはそれら部族間の区別はなくなっているが、すでにキリストが肉体をとって地上にあらわれた以上そうした部族系図はあえて必要がなくなったからである。しかしながら長子どもの教会の名の記された天には秩序があり、また各自に名がその部族の下に記されているということは疑いもないことである。(ヘブル12:23参照)
 なお各部族の「中」で印された者の数は1万2千人ずつとあるが、これを見ると、印する働きが開始された際に天に記録された全ての者が試験に通過し、最後の勝利者となるのではないことがあきらかである。いったんは生命の書にその名が記された者も、もし勝利者として終わりを全うするのなら、その名は削除されるのである。(黙3:5参照)


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