SDAと宗教統一運動7

6. カトリック教会でのセブンステー・アドベンチスト教会の聖歌隊(ブラジル)

 「『サンタ・ルジアの事故で死んだ人たちに復活の望みがある』という言葉を持って、ベロ・ホリゾンデのカトリック教会のリゼンド・コスタ大主教は、事故で死んだ18人の犠牲者のために宗教連合礼拝を開いた。・・・ミサは大主教によって行われた。 ・・・最後にセブンスデー・アドベンチスト教会聖歌隊によって、幾つかの賛美と大衆的な歌を歌った。」-Diario da Tarde[Brazilian newspper]、1976年9月1日

7.カトリック教会での連合礼拝(スペイン)

  「5月13日金曜日(1967年)午後8時、バルセロナのエキュメニカル・センターによってポンペイ聖母マリヤ聖堂の地下の礼拝堂で、多くの者が動くすきもないほど集められ、黙祷と折りをもって開始された。この行事はバルセロナ大主教マルセロ・ゴンサレス博士、スペインのエバンゼリカル教会のE・カポ牧師、セブンスデー・アドペンチスト教会のA・コマベルラ氏、タイゼのプロテスタント連合会のロバート・キスカド修道師によって共同で行われた。」-La vanguardia ESpan01a[SpaniSh neWSpaper]、1967年5月18日.

8. クリスチャン親交協会(フィリピン)

  「推薦委員会は、1971年クリスチャン親交協会参加者を募集する中で、昨日(1971年7月25日)クリスチャン親交協会に参加を願うセブンスデー・アドペンチスト教会の牧師(C・バナアグ牧師)の入会を発表した。・・・SDAのバナアグ牧師は、アジアの多くの国と米国を訪問した。彼の最後の旅行は1968年、諸国の34入の宗教自由委員として構成されている国際教会国家宣教会の一員として参加した時であった。彼はヨーロッパの諸国、中東、ロシア、ユーゴスラビアチェコスロバキア、そしてバチカンを訪問し、バチカンでは法王パウロVIから聖ぺテロ聖堂で約一時間半の間聴衆に説教するように時間が与えられた。バナアグ牧師は法王がマニラを訪れた時、タフト・アベニューにある『使徒ナンシェイチャ・ローマ・カトリック教会で法王をまじえた宗教連合協議会に出席した。今年の募集は法王使節団が指定したクリスチャン親交協会運動とフィリピン・ヘラルドの後援と、フィリピンのNCC(国家教会協議会)の協力で成し遂げられた。」-The Phillippines Herald、1971年7月26日.

9.SDAとバチカン(レビュー・アンド・ヘラルドから)

  「教会国家研究委員会の会員たちが、イタリアを訪問した時、聖ペテロ聖堂で法王の講演を聴取した。その後3人の委員たちは法王と談話を交えた。3人の委員は南ヨーロッパ支部のピエレー・ラナレス宗教自由部長、リペルチ誌のロランド・R・ヘグステド編集局長、SDAのアンドリュース大学のレイフ・Kr・トビアセン氏であった。法王はレイフ・Kr・トビアセン博士に記念メダルを授けた。」-レビュー・アンド・ヘラルド1968年5月30日RH May 30.

10.法王がSDA教会員に勲章を授ける

 SDA教会の出版物から
 「アンドリュース大学で勉強し、エチオピアの三育大学の聖書教授であるサムエル・バキオキ氏は、最近ローマの法王グレゴリー大学の教会歴史部門において法王パウロVIから名誉学士学位の金メダルを授けられた。」−Adventecho[German SDA paper]、1973年6月15日. …続く。

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