「平和が回復される」

 「コロサイにいる、キリストにある聖徒たち、忠実な兄弟たちへ。わたしたちの父なる神から、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。」(コロサイ1:2)

 「キリストは『平和の君』である(イザヤ9:6)。キリストのみわざは、罪が破壊した平和を天と地に回復することである。『このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている』(ローマ5:1)。だれでも罪と絶縁することに同意し、キリストの愛に心を開く者は、この天の平和を持つ者となる。
 これ以外に平和の基はない。心に受け入れられたキリストのめぐみは、敵意をしずめる。それは争いをしずめ、魂に愛を満たす。神との平和また隣人との平和を保っている者は、決して不幸になることはない。彼の心には嫉妬はない。そこには悪意のはいる余地がない。憎悪も存在しえない。神と調和している心は、天の平和の共有者である。そして周囲のすべての者に、その祝福された感化を及ぼすのである。平和の精神は、世の争いに疲れ、悩む人々の心に、露のようにとどまる。
 キリストに従う者たちは平和の使信をもって世につかわされている。きよい生活の静かな無意識の感化によってキリストの愛をあらわし、ことばと行為によって、他の人に罪をすてさせ、心を神にささげるように導く者は、平和をつくり出す人である。……平和の精神は彼らが天と結びついている証拠である。キリストの芳しいかおりが彼らをとりまいている。その生活のかおり、その品性の美しさは、彼らが神の子らである事実を世に示している。人々は彼らがイエスと共にいたことを知るのである。」(祝福の山33-35)
 「キリストの恵みが、品性のあらゆる面に織り込まれなければならない。……キリストの命に日毎に成長することは、魂の内に平和の天国を造り出す。そのような生涯は絶えず実を実らせるのである。……キリストの血によって贖われた者たちの生涯には、自己犠牲が絶えず現れる。善意と義が見られる。静かで内なる経験が、その生涯を善意、信仰、柔和、忍耐で満たす。これがわたしたちの日毎の経験となるべきである。わたしたちは、罪がない品性、すなわちキリストの恵みの内にまた恵みによって作られた品性を形作るべきである。」(健康への勧告633,634)

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