「神の栄光とは何か」

 「『やみの中から光が照りいでよ』と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。」(コリント第二4:6)

 「神の栄光がこのお方のご品性である。モーセは山にいた間、神に熱心に嘆願して、祈った。『どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示しください』。これに答えて神は、『わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ、主の名をあなたの前にのべるであろう。わたしは恵もうとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれむ』と宣言なさった。神の栄光すなわちこのお方のご品性がその時に表わされた。『主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」』(出エジプト記33:18,19; 34:6, 7)。
 このご品性がキリストのご生涯に表わされた。このお方はご自身の模範によって、肉にあって罪を責めることがおできになるために、ご自身の上に罪深い肉の様をとられた。絶えずこのお方は神のご品性を眺めておられた。そして、絶えずこのお方は世にこのご品性を表わしておられた。
 キリストはご自分に従う者たちが、自分たちの生涯において、この同じ品性をあらわすことを望んでおられる。このお方は、弟子たちに対する執り成しの祈りの中で次のように言われた『わたしは、あなたからいただいた栄光〔品性〕を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。』(ヨハネ17:22,23)……
 今日もなお、ご自分の教会を聖別し清めることがこのお方の目的である『しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである』(エペソ5:27)。キリストがご自分を信じる人々に授けて下さるようにと御父に求めることができるもので、ご自分が表されたご品性以上に大きな賜物はない。このお方のご要求には何という大きさがあることであろう!キリストに従うすべての人には何という満ち満ちた恵みを受ける特権があることであろう!……ああ、キリストがわたしたちに与えてくださる誉れをもっと十分に正しく評価することができればよいのだが!このお方のくびきを負い、このお方から学ぶことによって、わたしたちは志と、柔和と、心のへりくだりと、品性のかぐわしさにおいてこのお方に似た者となるのである。」(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1902年9月3日)


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