「試みの日」

  「主よ、わたしをためし、わたしを試み……てください。」(詩篇26:2)

 「主は摂理の内に、人を彼らの道徳的力と彼らの行動の動機を明らかにすることができる所に置かれる。それは彼らが自分たちの内にある正しいものを向上させ、間違っているものを捨て去るためである。神は、ご自分の僕が自分たちの心の道徳的機械に精通することを望まれる。これを成し遂げるために、神はしばしば火のような苦悩が彼らに押し寄せることを許され、彼らが清められることができるようにされるのである。……
 真の恵みは快く試みられることである。もしわたしたちが主によって調べられることを嫌うなら、わたしたちの状態は本当に深刻である。神は魂を精錬し清められるお方である。不純物は炉の熱のうちで、クリスチャン品性という真の金銀から永遠に分離されるのである。イエスは試練を見られる。このお方は貴金属がご自分の聖なる愛の輝きを反射するように、それを清めるためには何が必要であるかをご存じである。」(教会への証4巻85,86)
 「わたしは、『あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味する』よう懇願する(コリント第二13:5)。クリスチャンの愛の温かさと純潔を保つためには、キリストの恵みの絶えざる供給が必要である。……
 この闘争と試練の時にあたって、わたしたちは義の原則と定められた宗教的信念、キリストの愛の変わることのない確証、神の事柄における豊富な経験から得ることのできるあらゆる支えと慰めを必要としている。わたしたちは、恵みに着実に成長する結果としてのみ、キリストの内にあって完全に発達した男女に成長するのである。」(教会への証5巻103-105)
 「試みから逃れるのではなく、試みのただ中にいてクリスチャンの品性は磨かれる。拒絶や反対にさらされると、キリストの弟子はますます用心するようになり、一層熱心に偉大な助け主に祈るようになる。神の恵みによりきびしい試みに耐えると、忍耐強く、用心深く、不屈になり、また、神を信じる信仰が深まり、長続きするようになる。クリスチャン信仰の勝利とは、キリストに従う者が、苦しみを受けるが強められ、服従するが勝利し、たえず死に渡されるが生かされ、十字架を負うが、栄光の冠を受ける、まさに、このことである。」(患難から栄光へ下巻160)

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