「神の子」

 「愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。」(ヨハネ第一3:2)

 「『愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である』。これに匹敵する人間の尊厳があるだろうか。わたしたちは、無限の神の子と呼ばれるより高い地位を占めることができるだろうか。」(教会への証4巻365)
 「全能なるお方が死すべき人間と縁組するとは、なんという途方もない考え、なんという未曾有のへりくだり、なんという驚くべき愛だろう!『しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである』(ヨハネ1:12)。『愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である』。世俗の誉れでこれに匹敵するものはあるだろうか。
 わたしたちは、あるがままのクリスチャンの生涯を表そう。快活に、魅力的に、興味深く進もう。わたしたちはそうしようと願うなら、そうすることができるのである。わたしたちは自分の思いを、霊的で永遠の事柄の生き生きとした光景で満たすことができ、そうすることによって他の人々の思いにそれを現実にする助けをするのである。信仰は、イエスがわたしたちの仲保者として、神の右手に立っておられるのを見る。信仰は、このお方がご自分を愛する者たちのために準備しに行かれたすまいを見上げる。信仰は勝利者に準備された衣と冠を見る。信仰は贖われた者たちの歌声を聞き、永遠の栄光を近づける。もしうるわしい王を見たいなら、わたしたちは愛のある服従によって、イエスのそば近くに行かなければならない。」(節制212,213)
 御父と御子イエス・キリストとの交わりに入れられるということは、高貴にされ、高められることであり、言い表わすことのできない喜びと満ち満ちた栄光に預かる者となることである。食物や衣服、また地位や富はそれぞれに価値がある。しかし神と交わりを持つこと神の聖なるご品性にあずかる者になるというのは、計り知れない価値のあることである。わたしたちの生涯はキリストと共に神のうちに隠されるべきであり、『どうなるのか、まだ明らかではない』『わたしたちの命であるキリストが現われる時』『わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである』(コロサイ3:4)(ヨハネ第一3:2)。クリスチャンの品性の尊い気高さは太陽のように輝き出、キリストのみ顔から流れ出る光の光線は、キリストが純潔であられるように、自らを純潔にした者に反映する。神の子となる特権は、たとえわたしたちが持っているすべての物、すなわち命でさえ犠牲にしたとしても、安いものである。」(教会への証4巻357)

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