「神のみわざに見られる栄光」

 「聖なるかな聖なるかな聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ。」(イザヤ6:3)

 「創造主のみ手によってつくられたときには、エデンの園だけでなく、全地のいたるところが限りなく美しかった。美しい創造を傷つけるような罪の汚れや死の影はどこにもみられなかった。神の栄光は、『天をおおい、そのさんびは地に満』ち『明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった』(ハバクク3:3)とある。このように地は『いつくしみと、まこととの豊かなる神』(ヨブ38:7)の象徴としてふさわしく、神のみかたちにかたどってつくられた人間が学ぶのにふさわしかった。エデンの園は、全地をこのようにしたいという神のご希望のあらわれであった。人類家族の数がふえるにしたがって、エデンの園で神からあたえられたのとおなじような他の家庭や学校を設けるようにというのが神のみこころであった。こうして全地は、時がたつにつれて、神のみ言葉とみわざを学ぶ家庭や学校で満たされ、生徒たちは、永遠にわたって、神の栄光を知る光を、ますます深く反映するのにふさわしい者となるはずであった。」(教育12)
 「アダムが創造主のみ手によってつくられたとき、彼の肉体と知能と霊性は、神のみかたちをそなえていた。『神は自分のかたちに人を創造された』(創世記1:27)としるされている。神の御目的は、人が長く生きれば生きるほど、ますます、はっきりと神のみかたちをあらわすこと、すなわちなおいっそう明らかに創造主の栄光を反映することであった。人間のあらゆる才能は発達することが可能であって、それらの才能の能力と活力はたえず増大することになっていた。そうした才能を働かせるために、広い機会が与えられ、研究のために輝かしい分野が開かれていた。目に見える宇宙の神秘、すなわち、『知識の全き者のくすしきみわざ』(ヨブ37:16)が人の研究を招いていた。創造主と顔をあわせて、心と心の交わりをすることが、アダムのとうとい特権であった。もし彼が、神への忠誠心を変えなかったなら、この特権は、永久に彼のものとなったであろう。彼は、永遠にわたってたえず知識の新しい宝を手に入れ、幸福の新しい泉を見いだし、神の知恵と力と愛についていよいよ明らかな概念を持ちつづけたであろう。アダムが、創造された目的を十分に果たせば果たすほど、創造主の栄光は、ますますはっきり反映されたであろう。」(同上4)

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