「わたしたちが待っている間」

  「腰に帯をしめ、あかりをともしていなさい。主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐあけてあげようと待っている人のようにしていなさい。」(ルカ12:35,36)

 「今はわたしたちの主の来臨に備える時である。主にお目にかかる備えは一瞬にしてできるものではない。その厳粛な光景に先立って、熱心な働きに伴った油断のない待機と見張りがなければならない。神の子らはそうすることによって主に栄光を帰すのである。生活の忙しい状況の中で、彼らの声が励まし、希望、そして信仰の言葉を語っているのが聞こえるのである。彼らの持っているもの、またその存在すべてが主人の奉仕に捧げられる。……
 キリストはいつご自分のみ国が来るかをわたしたちに教えられる。このお方は全世界が改心するとは言われないが、『そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである』と言われる(マタイ24:14)。世に福音を伝えることによって、主の再臨を早めることが、わたしたちの力でできる。キリストの教会が命じられた働きを主がお定めになった通りにしていたら、全世界に対する警告はすでに終わって、主イエスは力と大いなる栄光をもってこの地上においでになっていたのである。
 キリストの来臨のメッセージには生きた力が伴わなければならない。わたしたちは、多くの魂が主の来臨の祝福された望みに改心するのを見るまでは休んではならない。使徒時代には、彼らが担ったメッセージは本当の働きをなし、偶像から生ける神に仕えるように魂を向けたのであった。今日なされなければならない働きも同じように本当で、この真理は同じように事実である。ただ、わたしたちが主の来臨に近づけば近づくほどもっと熱心にそのメッセージを伝えなければならないのである。この時代のためのメッセージは明白で、単純で、最も重要なものである。わたしたちはそれを信じている男女として行動しなければならない。待ち、見張り、働き、祈り、世に警告する―これがわたしたちの働きである。」(レビュー・アンド・ヘラルド1913年11月13日)
 「わたしは夜のまぼろしを通して最近わたしに示された光景に深く感動した。一つの大きな運動、すなわちリバイバルの働きが多くの場所でおし進められているようであった。わたしたちの民は神の召しに応じて列に並んでいた。主はわたしたちに語っておられる。わたしたちはこのお方の招きに耳を傾けようではないか。わたしたちはランプを整え、主が来られるのを待つ人たちのように行動しようではないか。」(牧師への証515)
 
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