「ついに故郷に!」

 「しかし、聖書に書いてあるとおり、『目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた』のである。」(コリント第一2:9)

 「この地上の美しさに心が魅せられるとき、罪にも死にもむしばまれないきたるべき世界のことを考えてみましょう。すると、そこには、もはやのろいのかげはみられません。なお、救われた者の家庭を考えてみましょう。それは、どんなにすばらしい想像もとうてい描き出すことができないほどのりっぱなものであることをおぼえましょう。神は自然界を美しく飾りたまいますが、それでも、私どもは、神の栄光のほのかな光を見ているにすぎないのであります。」(キリストへの道117)
 「やがて、天の門が神の子らのために開かれ、栄光の王のみ口より『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい』(マタイ25:34)という祝福の言葉がたえなる音楽のごとくにひびいてきます。こうして、あがなわれた者は、イエスがかれらのため備えたもうた住居に迎えられるのであります。」(同上176,177)
 「それからわたしは、イエスが、救われた人々の群れを、都の門に導かれるのを見た。イエスは門に手をかけて、そのきらめく蝶番のついた扉をさっと開き、真理を守った諸国民に、中に入るように命じられた。都の中には目を楽しませるあらゆるものがあった。彼らは至る所に豊かな栄光を見た。それからイエスは、贖われた聖徒たちをごらんになった。彼らの顔は栄光に輝いていた。イエスは、彼らの上にじっとやさしい目をそそいで、豊かな美しい声でこう言われた、『わたしは、自分の魂の辛苦を見ることができて満足だ。この豊かな栄光は永久にあなた方のものだ。あなた方の不幸は終わった。もはや死もなく悲しみ嘆きもなく、また苦しみもないのだ』。……
 ことばというものはあまりに貧弱で、天国の光景を描写することができない。天国の光景がわたしの前に現れるにつれて、わたしはただ驚嘆するよりほかはない。そのすぐれた壮麗さと、そのすばらしい栄光に心を奪われたわたしは、筆を投げて叫んだ。『ああ、なんという愛!なんという驚くべき愛ぞ』と。どんなことばでほめたたえてみても、天の栄光と比類のない救い主の愛の深さを描写することはできない。」(初代文集464-456)

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