「すべて主を呼ぶ者に主は近い」

 「すべて主を呼ぶ者、誠をもって主を呼ぶ者に主は近いのです。」(詩篇145:18)

 「神はわたしたちが顔を義の太陽に向け続ける時喜ばれる。・・・わたしたちが悩み、心配に押し潰される時、主は近くにおられ、わたしたちの思いわずらいをすべてご自分にわたすようにと命じられる。主はわたしたちを心にかけておられるからである。・・・
 主は悩んでいるすべての子らのところへ来られる。危険な時には彼らの避難所であり、悲しんでいる時には彼らに喜びと慰めを差し出される。わたしたちは、生ける水の源である贖い主から離れて、水をいれておくことのできない自分自身の壊れた水ためを作るのだろうか。危険が近づくとき、わたしたちは自分と同じように弱い人々に助けを求めるのだろうか。それとも救う力を持ったお方のところへ避難するのだろうか。このお方の腕は大きく開かれており、『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう』と恵み深く招いておられる。
 もしわたしたちがこのお方を愛しまた従うことを拒むなら、それはその方の偉大さを恐るべき威厳、また比べるもののない力が現われなかったからではなく、わたしたちに言い訳はできない。神の愛と憐れみ、忍耐、長く耐え忍ばれることが、自分の生涯に自発的な奉仕をしない人に対して責める証人として残る。心と魂と思いを込めて神に立ち帰る者はこのお方のうちに平安な安らぎを見出す。・・・
 このお方はわたしたちがまさに必要としているもの、わたしたちが負うことのできるものが何であるかを知っておられ、わたしたちにもたらされるあらゆる試練やテストに耐えるための恵みを与えて下さる。わたしの絶え間ない祈りは、神にもっと近づくことである。」(原稿20,1892年)
 わたしたちの霊的、道徳的性質の必要に応えるためにあらゆる備えがなされている。・・・光と不死は主イエス・キリストを通して明らかにされた。イエスはわたしたちの前にだれも閉じることのできない門を開いておいたと仰せになった。その開いた門はわたしたちの前にあり、キリストの恵みを通して少し開いている門から憐れみ深い光が流れ出ている。」(ユース・インストラクター1893年12月14日

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