「虚しいだましごととへつらいに気をつけることを学ぶ」

 「あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。」(コロサイ2:8)

 「へつらいは人が自分自身を高めて慢心するよう、またその人をだますためにサタンが待ち伏せする技巧である。・・・へつらいは教会の若い人たちの多くがそれによって養われてきた食物であり、へつらってきた者は自分たちが正しいことをしていると思っていたのであるが、間違ったことをしていたのである。賞賛、へつらい、放縦は、サタンが考案した他のどの技巧よりも、尊い魂を間違った道に導いてきた。へつらいは世の方針の一つであり、キリストの方針でない。意志薄弱で弱々しい人間はへつらいを通して、自分たちが有能で、尊敬に価すると考え、世俗的な心で得意になる。彼らは自分が持っている以上の能力を持っていると考えて有頂天になり、その宗教経験が均衡のとれたものではなくなる。神の摂理のうちに、彼らがこれらのだましごとから離れ、改心してキリストの学校で宗教のABCから学ばないかぎり、じぶんの魂を失ってしまう。若者の多くは、自分が生来能力を持っているとおだてられてきた。自分が持っていると考えている能力はただ勤勉な訓練と修養を通して、キリストの柔和とへりくだりを学ぶときにのみ得ることができるのである。・・・神は、人が自分自身の弱さを理解できるようにと、その人が敵に攻撃されるのを許される。人は何か決定的な大失敗をし、痛みを伴うへりくだりへと追い込まれることがある。しかし自分自身の弱さを感じて苦悩しているときに、その人は激しく裁かれるべきではない。・・・それはこの人が過ちを忍耐強く、誠実に取り扱う・・・友を必要としているときである。・・・この人はへつらいという救いの手で持ち上げられてはならない。・・・むしろはしごの第一段をさし示されて、進歩というはしごの一番下の段に、そのよろめく足をのせなければならない。・・・賢い助言者の助けをえて、その人の欠陥は勝利へと変わる。」(ユース・インストラクター1894年5月24日)

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