「カナンの言葉を話すために学ぶ」

  「わたしの教は雨のように降りそそぎ、わたしの言葉は露のようにしたたるであろう。若草の上に降る小雨のように、青草の上にくだる夕立のように。」(申命記32:2)

 「わたしたちはキリストの証人でなければならない。そして、わたしたちがキリストにある男女の完全なかたちに日々成長するとき、証人となる。日毎にますますキリストのように成長するのはわたしたちの特権である。そのときわたしたちは、自分の愛をこのお方にもっと気高く表し、もっと純潔な言葉を話す力を得て、わたしたちの考えは広がり、深くなる。そしてわたしたちの判断はもっと健全に、もっと信頼できるものとなって、わたしたちの証はもっと生命と保証にみちたものとなる。わたしたちは地上の言葉をみがいたり、人の会話によく親しんだりするがゆえに、カナンの言葉が自分にとって新しく親しみのないものにならないようにすべきである。わたしたちはキリストの学校で学ぶべきであるのに、多くの人は霊的な事柄において、非常に乏しい経験で満足している。その人々は祈りと証の中に霊的な事柄に関してほとんど知識がないことを表している。地上の移ろいやすい事柄に関することよりも永遠の事柄に関することに、あまり良い判断が見られない。
 クリスチャンはますます天のことを学び、もっと神のみ旨とみ言葉を学び、真理をもっと学んで、自分たちが得た知識をどのように忠実に用いるかを学ぶために、キリストの学校で忠実な生徒にならなければならない。(ユース・インストラクター1894年6月28日)
 「言葉について最大の必要は、それが純粋で親切で真実でなければならないことである。言葉はすなわち、『心の美徳が外部に表現されたもの』でなければならない。・・・言語学習の最上の学校は家庭である。
 親切なことばは、人の魂に朝露やおだやかなにわか雨のようなものである。聖書には、キリストのことに関して、『疲れた者を言葉をもって助ける』ことができるように、恵みがイエスのくちびるにそそがれたと言われている(イザヤ50:4)。また神は私たちに命じておいでになる。『聞いている者の益になるように』『いつもやさしい言葉を使いなさい』(エペソ4:29)(コロサイ4:6)と。」(アドベンチスト・ホーム496)
 「心が純潔であれば、知恵の豊かな宝がわき出てくるであろう。」(アドベンチト・ホーム500)
 
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