「自然の教訓を熟考すべき」

 「また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。」(マタイ6:28)

 「自然科学はキリストの学校で学ぶ生徒がみな取り出すことのできる倉である。自然科学における神の方法と人に対する神の方法と取り扱いに関連した神秘はすべての者が取り出すことのできる宝庫である。」(原稿95,1898年)
 「数えきれないほどの種類に富む野の花は常に人の子らの喜びに奉仕している。神はご自分のみ手の業によって和らげられ、穏やかにされるすべての者への愛を表すことができるようにと、あらゆる根を養われる。わたしたちは人工的な装飾を必要とはしない。神の愛はその創造物の美しい物によってあらわされている。」(手紙84,1900年)
 「キリストは弟子たちの注意を人工的なものから離して、自然へ引きつけようとされた。『きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。』天父はなぜ地上を茶色や灰色で覆われなかったのであろうか。このお方は感覚に最も安らぎを与え、最も好ましい色を選ばれた。生き生きとした緑の装いで覆われた地を見るのは、なんと心を楽しませ、疲れた精神をさわやかにすることであろうか。これがなければ空中はちりで満たされ、地は砂漠のように見えるであろう。草の若芽の一つ一つ、開こうとしているつぼみの一つ一つ、咲いている花の一輪一輪が神の愛のしるしであり、わたしたちに神への信仰と信頼についての教訓を教えている。キリストは私たちの準備をこれらの自然の美しさに向け、かつて地上で権力ふるった最も偉大な王のこの上なく豪華な衣装も、最も慎ましい草花の装いどころではないとわたしたちに保証しておられる。高価な絵画や家具、衣服といった富裕階級だけが持つことのできる人工的な豪華さを求めてため息をついているあなた、神なる教師のみ声に耳を傾けなさい。このお方は、人間の技巧では匹敵できない、単純なデザインの野の花をあなたにさし示される。」(レビュー・アンド・ヘラルド1885年10月27日)

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