「キリストの安息に入る」

 「こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。」(ヘブル4:9)

 「もしあなたがキリストの学校で心の柔和とへりくだりを学びたいと思っているのであれば、主は必ずあなたに安息と平安を与えて下さる。あなた自身の意志と方法をあきらめるのは非常に厳しい戦いである。しかしこの教訓を学ぶなら、あなたは安息と平安を見出す。自尊心や利己心、野心は克服しなければならない。あなたの意志はキリストの意志に飲みこまれなければならない。全生涯がたえず一つの愛の捧げものとなり、あらゆる行動が愛を表し、あらゆる言葉が愛の言葉となることができる。ぶどうの生命が幹と房をめぐるように、より低い繊維に降り、一番高い葉に届くように、キリストの恵みにまで送りつつ、心身のすみずみにまで送りつつ、心身のあらゆる行為に行きわたりつつ、魂のうちに燃え、満ちる。」(手紙14,1887年)
 「キリストがご自身の生命を与えられたその偉大な働きの中で、キリストとの共労者になることによって、わたしたちは真の安息を見出す。わたしたちが罪人であったとき、このお方はわたしたちのためにご自分の生命を捧げられた。このお方はわたしたちがご自分の所に来て、ご自分のことを学ぶことを望んでおられる。このようにしてわたしたちは安息を見出すべきである。キリストはわたしたちに安息を与えると仰せになる。『わたしは柔和で心のへりくだった者であるから・・・わたしに学びなさい。』こうすることによってあなたはキリストがお与えになる休み、このお方のくびきを負い、このお方の荷を背負うことによる安息を、あなた自身の経験の中で見出す。」(世界総会冊子1901年4月4日)
 「力のない信心の形は疲れるものであり重荷である。しかし心からキリストの奉仕に参加するとき、魂に休みがある。なぜなら神は暗黒の勢力に日々勝利をもたらされるからである。」(ユース・インストタクター1893年6月22日)
 「キリストがお教えになる教訓を学ぶということは、生徒が見出すことのできる最大の宝である。彼らが主を喜ばせようとする意識の中に、安息がおとずれる。」(手紙144、1901年)

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