「へりくだり」

  「しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、『神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う』とある。」(ヤコブ4:6 )

 「あなたは完全な屈服と服従をもって自分自身をキリストに結びつける時にのみ安全である。くびきはたやすい。なぜならキリストがその重荷をになってくださるからである。あなたが十字架という重荷を持ち上げるとき、その荷は軽くなり、十字架はあなたにとって永遠の命についての誓約となる。『あなたの助けはわたしを大いなる者とされました』と一歩ごとに叫びながら、喜びつつキリストの後に従うのは一人一人の特権である。しかしわたしたちが天へ向かって旅をしたいのであれば、神のみ言葉を自分の教科書としなければならない。霊感の言葉の中に日毎の教訓を読み取らなければならない。・・・
 人としてのキリスト・イエスのへりくだりは人間の思いでは理解できない。しかし世界が形造られる前に存在しておられることとその神性は、神のみ言葉を信じる者にとって疑う余地はない。使徒パウロはわたしたちの仲保者について、神のひとり子であって、栄光に満ちた身分であり、神のかたちであって、全天軍の司令官であり、ご自分の神性に人性をまとわれたとき、僕のかたちをとられたと語っている。・・・
 人間になることに同意されて、キリストは天の住民にとって信じられないほどの驚きであるへりくだりを示された。キリストの先在という事実がなければ、人となることに対して同意されたことは、謙遜の行いにはならなかったであろう。わたしたちは、キリストがご自分の王位、王冠、最高指導権を捨てて、人間のいる所で人に会い、人類家族が神の息子、娘になる力をもたらすために、ご自分の神性に人性をまとわれたことを悟るために、わたしたちの理解力を啓発しなければならない。人を贖うためにキリストは死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」(ユース・インストラクター1898年10月13日)
 「キリストの生涯を特徴づけた柔和とへりくだりは、『彼が歩かれたように歩く』人々の生涯と品性のうちにあらわされる。」(ユース・インストラクター1894年11月8日)

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