「モーセは見えない方を見ているようにして忍びとおした」

  「信仰によって、彼は王の憤りをも恐れず、エジプトを立ち去った。彼は見えないかたを見ているようにして忍びとおした。」(ヘブル11:27)

 「モーセは、神の栄えと、踏みつけられているイスラエル人の救済のために、エジプトの栄誉を犠牲にした。そのとき、神は、特別な意味において、モーセの教育を引き受けられたのであった。・・・彼は神の力に信頼することについて教訓を学ばなければならなかった。彼は神の御目的を誤解していた。彼は、武力によるイスラエル人の救済を念願していた。彼はこのためにいっさいをかけて失敗した。敗北と失意の中に、彼は異郷に難を逃れて亡命した。・・・表面は一生の任務から永遠に切り離されたかのように見えながら、実はその任務の達成のために訓練を受けていたのであった。・・・彼は、イスラエルの忠実な忍耐強い牧者となるのに必要な経験を得なければならなかった。・・・荒野のきびしい質実さの中にあって、・・・モーセが身につけたものは、彼の骨折りと苦労にみちた一生の年月を通じて変わらなかった。それは実に神のご臨在についての自覚であった。…人々に誤解され、誤った評判をたてられたときにも非難と悪口を忍び、危険と死に直面しなければならなかったときにも、彼は『見えないかたを見ているようにして』耐え忍ぶことができた。」(教育59〜61)
 「モーセは知恵と高潔さの点で、地上のすべての統治者と政治家に勝っていた。・・・彼は優しく、気高くて、分別があった。彼には欠点がなかった。そして彼の特質はただ中途半端なものではなかった。彼は同僚たちに上手に訓戒を与えることができた。彼の生きた生活が人間はどんな者になり得るか、神が助け手であるなら、どんなことができるかを教えていた。・・・彼は心から語った。そしてそれは人々の心に達した。彼は知識に熟達していたが、彼の深い同情を表明することにおいては子供のように単純であった。彼は著しい天性を授けられていて、周囲のすべての者の必要について、ただちに判断することができた。・・・『柔和な特質をもつ人が信頼されうるのである。その人を通して、わたしはわたし自身を世に対してあらわすことができる』とキリストは仰せになる。そういう人は織物の中に自己中心の糸を織り込まないであろう。」(SDA・バイブル・コメンタリー1巻113)

http://www.sda1888.com/
聖書のお話ブログ BIBLE STORY BLOG
http://dailydevotion.jugem.jp/?eid=126


 ブログ村ランキングに参加しております。
もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村