「私たちの粗雑さを精錬されたものに変える」

 「愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、」(ヤコブ12:9)

 「度々くり返される習慣は品性となる。互いに失礼な話し方をし、家庭で不作法なままに暮らす子供たちは、成長後、自分にからみついて、これに打ち勝つのは最も困難な習慣を形造っているのである。彼らは主を畏れていることを示さない。品性が洗練されていることをあらわさない。彼らの気質は粗野になり、ふるまいの高潔さを構成する礼儀正しさに欠ける者となる。そしてこれらすべてのことは、家庭の訓練を反映するものである。家庭の外にいる子供たちの態度から、他人はその家庭生活の歴史を、開いた本を読むように読むことができる。彼らは、そこにしないまま放っておかれた義務を読み取り、思慮深さに欠け、無私の心に欠け、争い、不満、いらだちやすい気質があることを読み取る。一方、自分の前に主を畏れる気持ちを持っていることを示す人々は、品性や言葉に、愛が大切にされていることをあかしする。このような家庭では、生活上の小さな礼儀正しさに注意が払われ、他の人を幸福にするために、自分の義務を一人一人が心に留めていることをあかしする。・・・
 あなたがたは皆、天の家族の一員となる備えをしているのだろうか。主の家族の一員となるのに相応しくなることを家庭生活で求めているだろうか。もしそうであるなら、互いの自己犠牲によって、家庭生活を幸福なものにしなさい。もしわたしたちがイエスを家庭に招きたいなら、親切な言葉だけを語るようにしなさい。神のみ使いたちは、争いや口論のある家庭には宿らない。愛と平安、クリスチャンの礼儀正しさを大切にしなさい。そうすれば天使があなたがたの客となる。」(ユース・インストラクター1886年4月14日)
 「もし子供たちや若者が家庭の中で、親切であり、礼儀正しくしようと努めるなら、思慮深さが変わらない習慣となる。日々礼儀正しいことはいつも彼らを礼儀正しい者とする。家庭は、家族が互いに自己否定と思いやりを実践する場所である。その家庭はこのようにして地上で天の家族とともにおり、地上の散らされた家族が天の家郷で再会するときこのようになる。」(ユース・インストラクター1886年4月14日)

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