わたしたちの原則となるべき主の原則

 「それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。」(ヨハネ13:5)

 「現代の子供や青年たちが、両親の支配に従うには、自分たちがあまりにも優れていると考えるのを見て、悲しく思う。・・・彼らは両親の権威に従うことは弱さの証拠であり、正しい独立心を犠牲にすることであると思っているようにみえる。しかし、自分自身を抑制する能力の代わりに、彼らは目的を心に決めかね、もろい。彼らの道徳力は弱々しく、誘惑にたやすく陥る理由は、キリストの生涯にならわないからである。・・・
 聖なる贖い主のみ足の跡に従う代りに、彼らは自尊心と自己高揚に満たされている。彼らは自分の好むことを研究し、神に捧げられていない思いの気の向くままにする。」(ユース・インストラクター1892年7月14日)
 「一瞬一瞬キリストは正義と不正を区別し、不正に光をあてる鏡として律法を掲げつつ、神の戒めという光の中に罪を置かれた。たびたびキリストの兄弟が怒りを引き起こしたのは、この正義と不正との間にある鋭い区別であった。けれどもキリストの訴えと懇願、その表情にあらわれた悲しみは、彼らに対する非常に優しく熱心な愛をあらわしていたので、彼らは、キリストの公正と忠誠についての厳格な判断から、この方をそらせようと誘惑するのを恥じた。」(ユース・インストラクター1898年9月8日)
 「神はこの堕落した時代の汚れのただ中に、堅く立って、良い働きに熱心な民を持っておられる。神の力を非常にしっかりとつかんでいる民がいるので彼らはあらゆる誘惑に対する証明となるであろう。満ち溢れる手段によって悪い情報がその人々の感覚に語りかけ、その思いを堕落させるように思えるかもしれないが、彼らは神とまたみ使いたちと非常に堅く結びついているので、見ることも、聞くこともしない者となる。・・・青年は非常に堅固な原則をもつことができるので、サタンの最も力強い誘惑も、彼らをその忠誠から引き離すことはない。」(教会への証3巻472)


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