135「奥義の成就」

 以上の証言を見るなら、神の奥義とは福音を指すものであるという事を否定する者はまずないと思う。そうであるならば、第七の天使が声を出している時、ラッパを吹き始めたころに福音が完結されるといっても、それは間違いではない。とはいうものの、そうならば福音の完結とは何であろうか。これを解決する前に先ずそれが何のために備えられたかをきわめたい。すなわちそれは神の名をになう一つの民を国々の間より召集するためにあたえられたものである。(使徒行伝15:14参照)であるから、その事業の終局といえば、それの完結を意味するということはいうまでもないことであり、神の民の数が満ちるなら、この事業は終わりをつげ、恩恵の働きは止み、審判はおわるのである。
 今やあなたの前にはきわめて厳粛かつ重大な問題が置かれているのである。すなわちそれは1844年の記憶すべき時期以来、全地にひびきわたっているところのラッパを鳴らす第七の天使が声を出してから間もなく成就するべき緊急事件なのである。神は決して怠らない方である。その働きは決して不確定のものではない。我々は果たしてこれに取り掛かるべき準備ができているであろうか。

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