「あわれみ」

 「主はあわれみに富み、めぐみふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。」(詩篇103:8)

 神が人の子らの強情にこれほど長く忍び、人の子らの不従順を忍びつつ、彼らがご自分のあわれみにつけこんで、最も悪意のある供述でご自分に対して偽りの証をしつつ生きるのを許されるとは、わたしにとって驚くべきことである。しかし神の方法はわたしたちの方法とは違うので、わたしたちはこのお方の愛にあふれる寛容、優しいあわれみ、無限の同情に驚きはしない。なぜならこれがまさにこのお方の品性一怒ることおそく、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろうという間違えようのない証拠を与えておられるからである。(今日神と共に187)
 神はあわれみ深い。このお方の要求は道理にかなっており、そのご品性の優しさと慈悲心に調和している。(教会への証2巻582)
 もし、わたしたちが当然受けるような取り扱いを、主がわたしたちになさるなら、わたしたちは頑固で感謝を表さない子供のように多くの方法で罰せられないであろうか。しかしこのお方は辛抱強く、わたしたちの強情に応じてわたしたちを取り扱うことをなさらない。その代わりにわたしたちをご自身ならびに御子と協力するようにと申し出られる。その申し出を受け入れるすべての者は命を持つことができ、世界は福音の祝宴に招待される。(レビュー・アンド・ヘラルド1895年9月24日)
 主はあわれみ深い。このお方はご自分の民を憎むからではなく、彼らが犯している罪を憎むので厳しく罰するのである。主は彼らを厳しく罰しなければならない。それは彼らが忠実へと帰ることができるためである。このお方は彼らを罰することが彼らとそのほかの者への警告となるよう計画しておられる。だれも闇のうちを歩く必要はない。だれも「わたしのどこに罪があるか悪いところを正確に言ってみなさい」という必要はない。こう言う人々にわたしは「祈りつつ調べなさい、そうすればわかるであろう」との主の言葉を伝える。
 神の御言とその御霊の証のなかに与えられている警告と譴責が十分にはっきりとしないのなら、どのようなみ言葉が回復と改革を引き起こすのに十分はっきりするというのだろうか。(上を仰いで240)
 〔主〕は罪を犯しているご自分の民が悔い改めるのを長く待っておられるが、それは彼らから鞭を取り除き、ご自身の平安と喜びで彼らの心を満たしつつ彼らに許しと愛を与えることができるためである。(パシフィック・ユニオン・レコーダー、1902年8月14日)

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