「安全のために投資する」

  「主は、心深い者を試錬の中から救い出し」(ペテロ第二2:9)


 イエスは気高く純潔であったが、わたしたちと同じようにあらゆる点において誘惑された。彼は人が耐えるようにと決して要求されることのない強さと力で誘惑された。ご自分の成功した抵抗の中でこのお方は、わたしたちがそのみ足の後に従わなければならない輝かしい模範をわたしたちに残しておられる。もしわたしたちが自己を過信するか独りよがりであるなら、誘惑の力のもとに倒れるがままであろう。しかしイエスを見上げ信頼するなら、わたしたちは戦場で敵を打ち負かされた力を自分の助けとして呼び求める。そしてこのお方はあらゆる誘惑に逃れの道を作ってくださる。サタンが洪水のように来るとき、わたしたちは御霊の剣で彼の誘惑に立ち向かわなければならない。そうすればイエスはわたしたちの助け手となり、わたしたちのために彼に向かって旗を掲げてくださる。偽りの父は神の真理が燃えるような力で彼の顔に投げつけられるとき、震えおののく。
 サタンは人々を神から引き離そうとあらゆる努力をする。そして宗教生活が仕事上の心配に飲み込まれるとき彼の目的を達する。彼は彼らの思いを仕事に没頭させることができるので、彼らは聖書を読むために、密室の祈りをするために、朝夕犠牲の祭壇で燃えるような賛美と感謝の捧げものをし続ける時間がない。大欺購者の策略になんとほとんどの者が気づいていないことであろうか!どれほど多くの者が彼の計略に無知なことであろうか!兄弟がたが自ら進んで宗教上の集会を休むむとき、神を思わず、敬神の念もないとき、神を自分の勧告者また力強いやぐらとして選ばないとき、世俗の思想と邪悪な不信仰が、どれほどすみやかに入り込み、むなしい自信と哲学がへりくだった信頼する信仰とに取って代わることか。ひとびとは自分自身をイエスから引き離すために、しばしば誘惑がまことの羊飼いの声であるかのように大切にされる。……人生におけるどのような立場を占めようとも、自分の仕事がどのようなものであろうとも、わたしたちは助けの必要を感じるくらい十分謙遜でなければならない。神のみ言葉の教えに絶対的により頼み、万事において神の摂理を認め、わたしたちの魂を祈りの中で注ぎ出すことに忠実でなければならない。(教会への証5巻426、427)

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