「永遠の約束」

 「神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。」(第一ヨハネ5:11、12)

 今はわたしたちにとって永遠のためのたしかな働きをするときである。キリストはわたしたちのために嘆願しておられる。わたしたちは自分自身を自由意志による、受け入れられる供え物として捧げないのだろうか。わたしたちは罪を覆い隠すのであろうか、それともあらゆる必要なときの助けとしてあわれみと恵みを見出すことができるために罪を告白するのであろうか。キリストがわたしたちのために嘆願をしておられる間に、わたしたちはあれほどの大きな苦しみと死を神の御子に与える原因となった罪を捨て去り、ひどく嫌わないのであろうか。イエスがわたしたちに同情を示しておられる間にわたしたちは自分自身に同情を示さないのであろうか。悔い改めと悔悟の内に自分の魂を注ぎ出し、新しい心の約束を受け入れないのであろうか。「束が西から遠いように、主はわれらのとがをわれらから遠ざけられると神は仰せになる(詩篇103:12)。
 もしあなたが律法をほんのわずかでも犯しているのなら、神に対して罪を犯しているのであり、その怒りのもとにいる。あなたは神のあわれみを受けることができる。もしあなたがそれのために嘆願するならそれを手に入れる。このお方のあわれみと同情にすがって、ありのままあなた自身を投げ出しなさい。信仰によって神をつかまえなさい。すべての利己心、貪欲を捨て、信仰によってイエスの血であなたの魂を道徳的汚れから清めなさい。岩なるお方の上に落ちて砕ける一人びとりに十分で無償の救いが提供されている。主よ、主よと言っている者は多くいるが、彼らは自分自身の自己義を信頼している。彼らは日々罪を行っている。彼らは神に名誉を帰さない。行くところどこでも彼らは悪のパン種のようだからである。
 あなたはなぜ罪をやめないのだろうか。神と協力するならあなたは打ち勝つことができる。キリストの約束は確かである。(世界総会冊子1899年10月1日)
 キリストを信じる人々は、自分が信じているお方から自分の動機の力と自分の品性の織物を引き出す。(神のむすこ娘たち299)
 カルバリーの人を掲げなさい。このお方の愛を語り、その力を話しなさい。無限の価を払ってあなたのために買い求めた永遠の命という賜物を、あなたがありがたく思っているかどうかを知ろうと、全宇宙が見つめている。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1889年4月8日)


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