「快く従う者への賜物」

  「わたしたちの先祖の神は……イエスをよみがえらせ、そして・・・…わたしたはちこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」(使徒行伝5:30、32)


 あなたには生ける神のみ言葉がある。そして、求めさえすれば、そのみ言葉を信じて従う者にとって力としてくださる聖霊の賜物を得ることができるのである。(教会への証6巻163)
 イエスのうちに、安逸を愛し、何もしない者にとっては、いまわしい真理がある。イエスのうちに、従順な者にとっては心地よい喜びに満ちた真理がある。それは聖霊の喜びである。(レビュー・アンド・ヘラルド1890年6月17日)
 天の三位なる生きたお三方がおられる。この大権者なるお三方、すなわち御父、御子、聖霊のみ名のうちに、生きた信仰によつてキリストを受け入れる人々はバプテスマを受ける。そして、これらの大権者たちは、天の従順な臣民がキリストにある新しい命を生きるために努力するとき、彼らに協力してくださる。(バイブル・トレーニング・スクール1906年3月1日)
 神の戒めを守ることにおいてキリストの模範に従っていないにもかかわらず、自分が聖なる者であると主張する部類の人々がいる。彼らは神のみ約束が与えられる条件を満たさずに、すぐにそれらを自分たちにあてはめる。しかし彼らの信仰には基礎がない。それは、すべる砂のようなものである。またそれとは別に、神の律法の要求を知り、そこに十字架が含まれていても、従順の道を選び、世から出てきて分離することを選ぶ人々がいる。彼らは都合を考慮せず、非難を恐れて真理を受け入れることにしり込みするようなことをしない。不法の道から離れ、神の戒めの道に足を置く。服従という条件に基づいて与えられる神の約束は、その聖なるみ言葉の光の中を歩む人々のためである。神のみ旨を行う人々は主が約束された益をすべて主張することができる。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1890年3月31日)
 われわれは、よろこんでおのれをむなしくするときにのみ天の光を受けることができる。われわれは、すべての思いをとりこにしてキリストに従わせることに同意しないかぎり、神のご品性を認識することも、信仰によつてキリストを受け入れることもできない。これをなす者にはすべて、聖霊が無制限に与えられる。(各時代の希望上巻214)


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