「他の人々に仕える機会」

 「わたしはまた主の言われる声を聞いた、『わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか』。その時わたしは言った、『ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください。』」(イザヤ6:8)

 この時代のための真理を提示するのにわたしたちが必要としているのはもっと力ある者、もっとタラントのある者、もっと学識のある者ではなく、神と神が使わされたイエス・キリストの知識を持っている者である。個人的な敬虔さがどの働き人にも資格を与える。聖霊が彼を所有しており、彼の日々の思考、すべての活動がキリストの方針にそってなされるので、この時代のための真理が力となるからである。彼には内住しているキリストがおられる。最もへりくだってキリストにつながっている者は力があり、その働きは持続する。(家庭伝道1897年11月1日)
 多くの者が神への説明責任に気づいていない。彼らは主のものであるタラントをあつかっている。彼らは、正しい方面で用いるなら、自分をキリストと天使らとの共労者とする精神力を持っている。多くの者が、彼らの努力を通して救われ、彼らの喜びの冠の星として輝くのである。しかし彼らはこれらすべてのことに無関心である。サタンはこの世の魅力によって彼らを鎖につなぎ、その道徳力を麻痺させようと努力し、残念ながら首尾よく成功している。
 キリストがそのために死なれた尊い魂に比較して家屋や土地はどれほどの価値があるであろうか。親愛なる兄弟姉妹方、これらの魂はあなたがたの尽力によって栄光の王国にあなたがたと共に救われることができる。しかしあなたがたは地上の宝をわずかといえどもそこへ持っていくことはできない。あなたが得ることのできるものを得なさい。そしてあなたが働かせることのできるあらゆる能力を用いてそれを保ちなさい。それでも命令は主から出るのであり、どのような技術も消すことのできない火はあなたの生涯をかけた蓄財を数時間ではかいすることができ、それらをくすぶっている廃墟の塊にすることができる。あなたがたは地上に宝を積み上げるために自分のタラントとエネルギーをすべて注ぐことができる。しかしあなたがたの人生が閉じるとき、あるいはイエスがみ姿をあらわすときそれらはなんの役に立つであろうか。(レビュー・アンド・ヘラルド1885年6月23日)


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