「聖霊は何をなさるか」

 「〔慰め主〕がきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。」(ヨハネ16:8)
 サタンの統治が抑制され服従させられるのは聖霊という力強い代理者によってである。罪を納得させ、人間という代理者の同意によってそれを魂から追い出すのは聖霊である。そのとき思いは新しい律法のもとに連れてこられるが、その律法は自由の王家の律法である。イエスは魂から罪の奴隷の足かせを砕くために来られた。なぜなら罪は魂の自由が失われるときにのみ勝利することができるからである。イエスは人間の悲哀と苦悩の深みにまで到達された。そしてその愛は人をご自身へと引き寄せる。聖霊という代理者を通してこのお方は思いをその堕落から引き上げ、永遠の現実に固定される。キリストの功績によって人は自分の存在の最も気高い力を実践し、自分の魂から罪を追い出すことができる。(レビュー・アンド・ヘラルド1893年4月25日)
 聖霊はだれかにへつらうこともなければ、だれかの発案によって働かれることもない。有限で罪深い人間が聖霊を働かせるのではない。神がお選びになる人間を通して〔このお方〕が譴責者としてこられるとき〔このお方の〕声に聞き従うのは人の分である。(牧師への証65)
 わたしたちは父祖のいた場所にいるのではない。この終わりの時代にはより前進した光がわたしたちの上に輝いている。父祖が行なったのと同じ奉仕をし、同じ働きをするのでは、神に誉れを帰すことも、このお方に受け入れていただくこともできない。神のみ前に罪のないものとみなされるために、わたしたちは彼らが自分たちの上に輝いた光に従い、服従することによって忠実であったように、今の時代にわたしたちの光に従い服従することによって忠実でなければならない。神の教会員の一人びとりに天父は与えられた恵みと光に応じた信仰と実をお求めになる。神はそれ以下のものを受け入れることはおできにならない。(レビュー・アンド・ヘラルド1893年4月25日)
 義務の声に聞き従わない男女子供のための助けはない。義務の声は神の声だからである。(牧師への証402)

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